【遍路みち 八十八】vol.28 「第七十六番 金倉寺」香川県 善通寺市 金蔵寺町
遍路ネタ。善通寺市の「第七十六番 金倉寺」。
金倉寺・・・旧国道11号線のすぐそばにあります。二十代の頃に観音寺市にいましたから、高松との行き来でよく通っていて、ここに金倉寺があるのは知っていました。でも参拝したことはありませんでした。
鶏足山 宝幢院 金倉寺の山門。
金倉寺は、弘法大師の姪の息子で天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。智証大師(円珍)は15歳の時に比叡山、延暦寺に行ってます。・・・遣唐使制度が中止となった39歳の時に新羅商人の船で入唐し、青龍寺で真言密教を伝授されたそうです。
本堂へつづく境内。意外に距離があります。
本堂。金倉寺の創建は宝亀5年(774)、弘法大師誕生の年に、 和気道善が等身の如意輪観音像を刻み、 一堂を建立してお祀りしたことに始まります。
大師堂。
智証大師と弘法大師の像を安置。共に「大師」の称号を得、「讃岐の五大師」に数えられています。
そして、金倉寺は乃木大将とも縁があるお寺です。長州征討、西南戦争、日清戦争、台湾征討後、明治31年に乃木将軍が善通寺11師団長赴任の時に3年間、宿舎として金倉寺に住まわれたそうです。台湾総督辞任の後ですね。その後、帰京し日露戦争に突入、第3軍司令官として旅順へ出撃、ロシア軍の旅順要塞を撃破、日露戦争を有利に導いた大日本帝国軍人、多くの日本人に尊敬される人物です。降伏したロシア将軍と酒を酌み交わし、一緒に撮った写真が乃木将軍の人柄を表す印象的なものです。
昭和天皇の教育係も務め、明治天皇崩御の後、大葬の礼当日に夫人と共に自刃。遺書には西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死である旨が記されていた。乃木将軍はともかく、夫人も一緒に自刃するというのが・・・切ないです。明治時代の軍人ですね。当時、多くの日本人が乃木将軍の死を悲しんだそうです。
本堂脇にある大きな松、「乃木将軍妻返しの松」は、赴任数ヶ月後の大晦日に東京から会いに来た夫人、静子に「会う必要はないでしょう」と追い返し、夫人がしばらく佇んだという言い伝えがあります。どういう経緯であったかは夫婦のみ知る事情でしょう。
東京の乃木坂は、乃木将軍を讃えての改称。全国の乃木神社も乃木将軍を祀ったもの。乃木坂48のメンバーはそのことを知っているのか・・・私も知らなかった。
遍路旅はいろんなことを知るきっかけになりますねぇ。
金倉寺・・・旧国道11号線のすぐそばにあります。二十代の頃に観音寺市にいましたから、高松との行き来でよく通っていて、ここに金倉寺があるのは知っていました。でも参拝したことはありませんでした。
鶏足山 宝幢院 金倉寺の山門。
金倉寺は、弘法大師の姪の息子で天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。智証大師(円珍)は15歳の時に比叡山、延暦寺に行ってます。・・・遣唐使制度が中止となった39歳の時に新羅商人の船で入唐し、青龍寺で真言密教を伝授されたそうです。
本堂へつづく境内。意外に距離があります。
本堂。金倉寺の創建は宝亀5年(774)、弘法大師誕生の年に、 和気道善が等身の如意輪観音像を刻み、 一堂を建立してお祀りしたことに始まります。
大師堂。
智証大師と弘法大師の像を安置。共に「大師」の称号を得、「讃岐の五大師」に数えられています。
そして、金倉寺は乃木大将とも縁があるお寺です。長州征討、西南戦争、日清戦争、台湾征討後、明治31年に乃木将軍が善通寺11師団長赴任の時に3年間、宿舎として金倉寺に住まわれたそうです。台湾総督辞任の後ですね。その後、帰京し日露戦争に突入、第3軍司令官として旅順へ出撃、ロシア軍の旅順要塞を撃破、日露戦争を有利に導いた大日本帝国軍人、多くの日本人に尊敬される人物です。降伏したロシア将軍と酒を酌み交わし、一緒に撮った写真が乃木将軍の人柄を表す印象的なものです。
昭和天皇の教育係も務め、明治天皇崩御の後、大葬の礼当日に夫人と共に自刃。遺書には西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死である旨が記されていた。乃木将軍はともかく、夫人も一緒に自刃するというのが・・・切ないです。明治時代の軍人ですね。当時、多くの日本人が乃木将軍の死を悲しんだそうです。
本堂脇にある大きな松、「乃木将軍妻返しの松」は、赴任数ヶ月後の大晦日に東京から会いに来た夫人、静子に「会う必要はないでしょう」と追い返し、夫人がしばらく佇んだという言い伝えがあります。どういう経緯であったかは夫婦のみ知る事情でしょう。
東京の乃木坂は、乃木将軍を讃えての改称。全国の乃木神社も乃木将軍を祀ったもの。乃木坂48のメンバーはそのことを知っているのか・・・私も知らなかった。
遍路旅はいろんなことを知るきっかけになりますねぇ。
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