般若心経を語らねば・・・
遍路ネタです。
般若心経。この動画を見ながら読経すれば誰でもできそうです。便利。
これを最初に読んだのは、2年前の「極楽寺」です。まだ八十八ヶ所を回れてないですが、お遍路を回ろうと決めて、最初に訪れたお寺です。・・・その後、逆打ちで大窪寺から回って現在に至ります。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是
舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経
これですね。日本では強引に日本語読みをしていますが、中国語ですね。「習近平」を「しぃじんぴん」と言わずに「しゅうきんぺい」と読んでいるのと同じです。
内容は、お釈迦さまと弟子(シャーリープトラ)の会話です。
観音菩薩が、 さとりの世界へ到る修行を実践されているとき、人間の心身を構成している5つのもの(肉体、感覚、イメージ、意思、認識するもの)に実体はないと知らされ、すべての苦しみという災いから救われました。
舎利子よ、 カタチあるものには実体がなく、実体がないものもカタチあるものと異ならないのです。 そして、心身を構成する物質以外の4つの働き(苦楽の感覚、イメージ、意思、認識するもの)もまた同じく実体がありません。
舎利子よ、存在するあらゆるものは実体がない空なのだから、生じること滅すること、汚れること清まること、増えること減ることなどありません。
したがって、カタチあるものは存在せず、今あると思っている4つの働きや、目・耳・鼻・舌・身体・心がなく、それらがもたらす色やカタチ、音、香り、味などもない。目に見えている世界から意識する感覚にいたるまで、人間を構成する要素もありません。迷いそのものがなく、だから迷いがない状態が尽きることもないのです。
また、年をとって死ぬこともがないから、老いて死ぬことが尽きることもない。今あると感じている、苦・集・滅・道もない。知ることがないから、なにかを得ることもないでしょう。
なにもないからこそ、菩薩は智慧の完成を心の依りどころにできるのです。心には妨げるこだわりがなく、そのため恐怖もありません。正しくない考え方や夢想を超越して、さとりの境地を究めます。過去・現在・未来の三世にわたって出現するすべての仏も、このような智慧の完成によって完全なさとりを開かれたのです。
だから、知るべきです。 智慧の完成は大いなる真実の言葉であり、大いなるさとりための真の言葉。 このうえない真言で比類なきすばらしいこの言葉は、自分と他者、すべての苦悩を除くことができます。それは事実であり、虚ろなものではありません。
だからここで、智慧の完成を真実の言葉で説きましょう。 「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に到達したものこそさとりそのものです。幸いあれ」
偉大なる智慧の完成についての心髄の経 。
わかるかなぁ。わからないかなぁ。これをどう理解するか。
まずは、ここですね。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり。・・・・ここでいう「色」は世の中にあるあらゆる物体を表します。「空」は実体がないことを表します。これがなかなか奥深いです。わかりやすいのは「水」でしょうか。グラスの中に水があったとして、それを「水」だと言いますが、何日か時間が経つと水は蒸発してなくなり、なくなった後も「これは水です」と言えるでしょうか?言えないですが・・・・でもこれは「水だった」とも言えます。だから実体があるものもないものも変わらないと言えます。
人間も同じで「けいつ〜」は目の前にいるけど、100年後には骨となり、風化して土となっているでしょう。でも「けいつ〜」だったと言えるのです。実体がないのに。そうすると人間の感覚も同じように五感はあってもないのと同じなのです。ここが少し飛躍しますが・・・たぶん、人々が不安を感じ悩みを持つのは、煩悩と執着があるからです。それを捨て、「無」に近くなることで不安や悩みから解放される・・・死すら受け入れることができる。それが悟りの境地、智慧の完成ということでしょう。
ただ、最後には呪文を唱えよ・・・となっています。 サンスクリット語そのままを中国語の当て字です。
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
あれ?結局、呪文を唱えるんかい?って感じですね。
中国、唐の時代の長安。
唐の皇帝、李世民の時に玄奘が二十年近いインドへの旅から戻ってきました。シルクロードの途中からアフガニスタン、パキスタンあたりの山脈を超えて西からインドへ旅しています。ナーランダ僧院で学び、645年に657部のサンスクリット語の経典を持ち帰っています。
中国ドラマ「風起花抄」の中で李世民が出てきて、今年は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の儀式を盛大に行うと家臣たちに指示します。旧暦7月15日。サンスクリット語の「ウッラバンナ」が語源という説もある。「鎌倉殿の13人」の中でも源頼朝がやはり盂蘭盆会の儀式を盛大に行っていた。静御前が舞を披露していましたね。日本では新暦の8月15日に行うようになった「お盆」のことです。
壁に貼ってあるのが・・・「金剛般若波羅密経」三蔵法師鳩摩羅什(くまらじゅう)訳と書かれています。最初の三蔵法師です。玄奘が経典を持って帰る前のものですね。玄奘と共に二大訳聖。
後に武則天となる武媚娘がまだ李世民の才人の頃です。この才人が皇后となり、女帝となり・・・・日本が痛い目にあった朝鮮半島での白村江の戦いで倭国と百済を破り、高句麗をも滅ぼしてしまいます。
玄奘が唐に帰ってくるのはこの少し後で、645年から亡くなる664年まで経典を訳していたが3分の1しか終わらず、それでも大般若経600巻を完成させています。鳩摩羅什のものを旧訳、玄奘のものを新訳としています。「観世音菩薩」と「観自在菩薩」の違いは李世民の「世」の字を使わなかったことによります。
その140年後の805年、遣唐使の弘法大師に与えられたのは新訳の経典です。西安の青龍寺へもいつか行かねばなりません。いや、インドのナーランダ僧院まで行かねばなりません。(笑
日本、中国、インド・・・と仏教は伝わってきていますが、インドでは仏教はヒンズー教にとって変わってしまっています。今では中国、日本、タイ、ミャンマー、スリランカ、ベトナム等の東南アジアで信仰されています。
「釈迦は教えを説いた哲学者のような人物で宗教家ではなかったが、死後に神格化されて上座部仏教と大乗仏教が成立した」とも言われており、なかなか深そうです。ひきつづき八十八ヶ所のお寺を回りながら解釈を深めましょう。
般若心経。この動画を見ながら読経すれば誰でもできそうです。便利。
これを最初に読んだのは、2年前の「極楽寺」です。まだ八十八ヶ所を回れてないですが、お遍路を回ろうと決めて、最初に訪れたお寺です。・・・その後、逆打ちで大窪寺から回って現在に至ります。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是
舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経
これですね。日本では強引に日本語読みをしていますが、中国語ですね。「習近平」を「しぃじんぴん」と言わずに「しゅうきんぺい」と読んでいるのと同じです。
内容は、お釈迦さまと弟子(シャーリープトラ)の会話です。
観音菩薩が、 さとりの世界へ到る修行を実践されているとき、人間の心身を構成している5つのもの(肉体、感覚、イメージ、意思、認識するもの)に実体はないと知らされ、すべての苦しみという災いから救われました。
舎利子よ、 カタチあるものには実体がなく、実体がないものもカタチあるものと異ならないのです。 そして、心身を構成する物質以外の4つの働き(苦楽の感覚、イメージ、意思、認識するもの)もまた同じく実体がありません。
舎利子よ、存在するあらゆるものは実体がない空なのだから、生じること滅すること、汚れること清まること、増えること減ることなどありません。
したがって、カタチあるものは存在せず、今あると思っている4つの働きや、目・耳・鼻・舌・身体・心がなく、それらがもたらす色やカタチ、音、香り、味などもない。目に見えている世界から意識する感覚にいたるまで、人間を構成する要素もありません。迷いそのものがなく、だから迷いがない状態が尽きることもないのです。
また、年をとって死ぬこともがないから、老いて死ぬことが尽きることもない。今あると感じている、苦・集・滅・道もない。知ることがないから、なにかを得ることもないでしょう。
なにもないからこそ、菩薩は智慧の完成を心の依りどころにできるのです。心には妨げるこだわりがなく、そのため恐怖もありません。正しくない考え方や夢想を超越して、さとりの境地を究めます。過去・現在・未来の三世にわたって出現するすべての仏も、このような智慧の完成によって完全なさとりを開かれたのです。
だから、知るべきです。 智慧の完成は大いなる真実の言葉であり、大いなるさとりための真の言葉。 このうえない真言で比類なきすばらしいこの言葉は、自分と他者、すべての苦悩を除くことができます。それは事実であり、虚ろなものではありません。
だからここで、智慧の完成を真実の言葉で説きましょう。 「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に到達したものこそさとりそのものです。幸いあれ」
偉大なる智慧の完成についての心髄の経 。
わかるかなぁ。わからないかなぁ。これをどう理解するか。
まずは、ここですね。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり。・・・・ここでいう「色」は世の中にあるあらゆる物体を表します。「空」は実体がないことを表します。これがなかなか奥深いです。わかりやすいのは「水」でしょうか。グラスの中に水があったとして、それを「水」だと言いますが、何日か時間が経つと水は蒸発してなくなり、なくなった後も「これは水です」と言えるでしょうか?言えないですが・・・・でもこれは「水だった」とも言えます。だから実体があるものもないものも変わらないと言えます。
人間も同じで「けいつ〜」は目の前にいるけど、100年後には骨となり、風化して土となっているでしょう。でも「けいつ〜」だったと言えるのです。実体がないのに。そうすると人間の感覚も同じように五感はあってもないのと同じなのです。ここが少し飛躍しますが・・・たぶん、人々が不安を感じ悩みを持つのは、煩悩と執着があるからです。それを捨て、「無」に近くなることで不安や悩みから解放される・・・死すら受け入れることができる。それが悟りの境地、智慧の完成ということでしょう。
ただ、最後には呪文を唱えよ・・・となっています。 サンスクリット語そのままを中国語の当て字です。
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
あれ?結局、呪文を唱えるんかい?って感じですね。
中国、唐の時代の長安。
唐の皇帝、李世民の時に玄奘が二十年近いインドへの旅から戻ってきました。シルクロードの途中からアフガニスタン、パキスタンあたりの山脈を超えて西からインドへ旅しています。ナーランダ僧院で学び、645年に657部のサンスクリット語の経典を持ち帰っています。
中国ドラマ「風起花抄」の中で李世民が出てきて、今年は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の儀式を盛大に行うと家臣たちに指示します。旧暦7月15日。サンスクリット語の「ウッラバンナ」が語源という説もある。「鎌倉殿の13人」の中でも源頼朝がやはり盂蘭盆会の儀式を盛大に行っていた。静御前が舞を披露していましたね。日本では新暦の8月15日に行うようになった「お盆」のことです。
壁に貼ってあるのが・・・「金剛般若波羅密経」三蔵法師鳩摩羅什(くまらじゅう)訳と書かれています。最初の三蔵法師です。玄奘が経典を持って帰る前のものですね。玄奘と共に二大訳聖。
後に武則天となる武媚娘がまだ李世民の才人の頃です。この才人が皇后となり、女帝となり・・・・日本が痛い目にあった朝鮮半島での白村江の戦いで倭国と百済を破り、高句麗をも滅ぼしてしまいます。
玄奘が唐に帰ってくるのはこの少し後で、645年から亡くなる664年まで経典を訳していたが3分の1しか終わらず、それでも大般若経600巻を完成させています。鳩摩羅什のものを旧訳、玄奘のものを新訳としています。「観世音菩薩」と「観自在菩薩」の違いは李世民の「世」の字を使わなかったことによります。
その140年後の805年、遣唐使の弘法大師に与えられたのは新訳の経典です。西安の青龍寺へもいつか行かねばなりません。いや、インドのナーランダ僧院まで行かねばなりません。(笑
日本、中国、インド・・・と仏教は伝わってきていますが、インドでは仏教はヒンズー教にとって変わってしまっています。今では中国、日本、タイ、ミャンマー、スリランカ、ベトナム等の東南アジアで信仰されています。
「釈迦は教えを説いた哲学者のような人物で宗教家ではなかったが、死後に神格化されて上座部仏教と大乗仏教が成立した」とも言われており、なかなか深そうです。ひきつづき八十八ヶ所のお寺を回りながら解釈を深めましょう。
この記事へのコメント
同行二人でお大師さんが応援してくれること間違いなしです。
仏教は宗教というより哲学に近いとは学者もよく言ってます。
きっと哲学にも強くなれます。
お遍路も逆打ちの方がご利益が大きいです(と、いわれています:「沖ツラ」風)。
私は面倒なので、88箇所のお砂踏できるとこで満足してますが。
コメントありがとうございます。
仏の道・・・釈迦は紀元前6世紀の人らしいです。調べれば調べるほどいろんなことがわかってきて、日本の仏教は時代と共にいろんなものが習合されて今のカタチになっているようです。
私は極楽浄土や地獄、魂や輪廻転生を信じていないので、21世紀の知識をもってどう考え生きていくべきかを残りの人生で追求していこうと思います。(笑