【続・香川あっちこっち】vol.87 瀬戸内国際芸術祭2025 秋会期「伊吹島」その1
瀬戸芸ネタ。いよいよ瀬戸芸もあと9日です。ラストスパート。先週は、一番遠い観音寺の島、伊吹島へ行きました。
香川県人にはなじみの島。とは言っても伊吹島へ行ったことがある人は少ないでしょう。かくいう私も20代の頃に知人がプレジャーボートで海釣りに連れて行ってくれた時に「あ、伊吹のあたりはいりこのカスが流れてきて、魚がおるわ。」と言って島のいりこの加工場の近くでアジやさサバを数十匹釣ったことがあります。上陸はしてないんよなぁ。親父に「放るような魚いっぱい取ってきて・・・」と言われました。(笑 アジフライ、サバ塩焼きにして食べたらおいしかったです。
観音寺港から船で移動。・・・の前に港に十分な駐車場がないので、港は駐車禁止。観音寺駅の近くの観音寺市民会館からシャトルバスで移動です。あ!建物はすっかり新しくなってますが・・・ここって中学の時に吹奏楽のコンクールで来たところだ。なつかしい。
9時30分の船に乗るのに1時間前くらいに来ておけば余裕だろう・・・と思ったら、8時40分発のシャトルバス1便が満員で積み残し。とりあえずそれには乗れました。観音寺港までバスで10分。
船のチケット買うのに並びます。
後の大きいフェリーかと思ったら、手前の赤い高速船。あやうく積み残しになるところでした。観音寺港はむかし来たことありますが、ここから船に乗るのは初めて・・・あ、社員旅行で広島へ、高速艇2隻チャーターで乗ったことがあったっけ。あれ、バブルの頃やな。(笑
天気が雨で・・・外の景色はもやってて真っ白でした。
船内は満席で・・・詰め詰め。身動き取れません。ん?なんか今までの瀬戸芸の島へ向かう船内とは雰囲気が違う・・・・ほとんどが日本人の高齢者です。私も含めて。(笑 他の島へ行く船は台湾人や韓国人、その他西洋人が多いのですが、ここは少ない。というか・・・私の隣の女性二人が中国人でした。それ以外はいなさそう。
「台湾人でしょう?」
「ちがう。中国人。」
「え?どこから来た?」
「北京です。」
「ほー、北京から?ようこそいらっしゃいました。」
「中国語できるのね?」
「10年前に深センにいました。」
「仕事で?」
「うん、仕事でね。」
「それはいいわね。」
と中国語で会話したので、台湾人ではなく中国人とわかりました。たぶんアラサーの女子二人。後ほど出てきます。
ほら、こんな感じで私よりも年配の夫婦とか、単独日本人です。これがどうも県外の人たちらしいです。時間とお金に余裕がある世代ですね。瀬戸芸はそういう人たちにちょうどいい旅行かもしれません。
25分で伊吹島に到着。港の横にすぐ、いりこ加工工場がありますが、これがずっと海岸線に続いているんですよね。いりこは獲って30分以内に茹でないといけないので、こうなっているそうです。
案内所と土産物売り場。高見島よりは充実してそうですね。
島の猫ちゃんも「よぅ来たのぅ〜」と歓迎。
港は大漁旗とズラっと並ぶ原付。どうやら島の足は原付のようです。
この狭い急坂が伊吹島のメインストリート。なるほど、原付が便利なわけです。
こういう斜面に建つ古民家の風景を見ると、いかにも島の風景という感じです。ノスタルジー。私たちの世代はそういうのを求めて島に来るんでしょうねぇ。
最初の作品、「最後の退避所」はラオスの作家、ブンポール・ポーティザン氏によるもの。
・・・・地域は人口流出による後継者不足で、文化や伝統が失われる危機に瀕している。竹と金属でできた神輿のようにも見えるオブジェは、大都市へ移住した新世代の島民に着想を得たもの。竹は団結と協力の精神を反映し、金属は「家」や漁師の道具を象徴する。金属の網は堅固でありながら透けて見え、存在しながらも忘れ去られつつある文化を示唆する。本作は、人口減少と移住による文化の喪失という緊急課題について鑑賞者に考えさせ、地域社会が持つユニークで豊かな伝統を、消え去る前に大切にし継承することの重要性を呼びかけている。・・・・
公式コメントによる。うーむ、私は複数の竹の腕、手袋に支えられたワイヤーの船。現代の社会はもろい下層階級に支えられて成り立っている・・・を表現しているかとプロレタリア的な感想を持ちましたねぇ。
さらにメインストリートの坂を上っていきます。船でいっしょに来た人たちはどこへ行ったのか?散り散りになりました。
沿道の家にいたお母さんに「こんにちは。」と挨拶すると、
「どこから来たん?」と聞くので
「高松です。お邪魔させていただきます。」
「高松な。今日は雨降るいうて言いよったでしょう?天気がええ時に来たらええのに。」
「来週は連休やから混んでると思うて。今日しか来れんので来ました。」
「そうなぁ。ゆっくり見て行ってな。」
「はい。」
と一期一会。島のお母さんとコミュニケーション。私は所詮、よそもんですからね。見せてもらってるという気持ちを忘れてはいけません。うちの近所の「うみまち商店街」も正体不明なよそもんがいっぱい来ますから。その気持ちは少しわかります。
こういう木造、瓦葺の家が適度に手を入れつつ、しっかり残ってる。このベンチとピカピカのスーパーカブがまたいい味出してて。
次は旧伊吹小学校。生徒数が減って2010年に小学校と中学校を統合したそうです。現在はこの先にある中学校の校舎が使われています。そこへ通っている生徒は小学校5人、中学校6人。まぁ、しょうがないですね。
右に写っている軽自動車。よく見てください。観音寺市の乗り合いバス。以前から島では軽自動車を使っているそうです。まぁ、道が狭いですからね。
1階は「伊吹しまづくりラボ」
1/300の島の模型が展示されています。これを見て思い出した。小学校の時に授業で香川県の立体地図を作るんですが、等高線ごとに切られた山を切って積み重ねていくんです。その時に伊吹島のカタチに切ったのを無くしてしまって・・・・適当に同じように切って貼りました。(笑 あの頃は伊吹島なんか、めちゃ遠い場所で、全然知らんかったのに・・・・さぬきうどんに欠かせない「いりこ出汁」のいりこの島だったとは。
いっぱい立ってる旗に、住んでる人の名前や、建物の名称が書かれています。こうして見ると、島の中央部の比較的平らな場所に多く住んでいるのがわかります。あぁ、そういえば観音寺の会社にいる時に、うちの部署に伊吹島出身の女の子がいたなぁ。かわいい娘だったけど資材の主任と結婚したよなぁ。
これはいりこですか?いりこはカタクチイワシの稚魚で、もっと小さい時はちりめん、しらす。成魚になるとイワシよりも細身のメザシになるようです。私はちりめんは好きですけど、メザシはあまり好きじゃないです。
昔の島の写真。昭和25年って戦後復興期ですね。
岡村桂三郎氏の作品「西冥の魚」・・・・は内容を一部変更し、特別展示「海と生命」となっています。え?どういうこと?
予定していた作品ができずに、別のものになったということかな。3カ所で展示。ここにあるのは巨大魚。
うわ、収まり切らん大作。
巨大魚です。カタクチイワシではない。
・・・・バーナーで焦がした杉板を支持体に、厚く塗られた下地に線を彫り込んで行く、岩絵の具という伝統的な素材を使用しながら、従来の日本画の範疇にとらわれない独自の作品世界を持つ。描かれる神象など想像や神話上の生き物がダイナミックに画面上に展開し、力強い刻線が、生命力の豊穣を表現している。・・・
近くで見ると・・・・目があるやん?チェンソーマンに出て来る悪魔っぽい。これどうやって描いてるんやろう?って思いますねぇ。不思議な屏風です。
ほんとに、ふつうに学校の廊下です。
次の作品は「反響」。インドネシアの作家、ジョンペット・クスウィダナント氏の作品。からくり系ですね。
無人の教室に、衣装と楽器でマーチングバンドを再現しています。
透明人間がいるような・・・・シュールな作品。不定期に打楽器とトランペットの音が響く・・・インスタレーションですねぇ。
次の作品は・・・「ものがみる夢」。アレクサンドラ・コヴァレヴァと佐藤敬によって2019年に設立。東京とモスクワを拠点に活動する日露建築家ユニットの作品。
一瞬、「あれ?何もないやん?」ってスルーしそうになりました。(笑
網が張られているんですよ。この網が海を表現しています。天気が悪かったので窓の外が真っ白ですが、天気が良ければ青い海が見えたはずです。網がその海につづくように。まぁ、天気が悪い日には天気が悪いなりの海にも見えますねぇ。
窓から外の景色を眺めると・・・いりこになるカタクチイワシが泳ぐ燧灘(ひうちなだ)が見えますが・・・・真っ白。残念。
運動場には立派なトイレが建っています。
これはトタンですか・・・・
迷路のようになってますが・・・綺麗なトイレでした。
小学校の前には日露戦役記念碑が。大東亜戦争はあまりに被害が大きく、敗戦しましたのでこういう慰霊碑はだいぶ後に作られたと思いますが、日露戦争は戦争に勝利したせいか、慰霊碑が意外にあちこちに残っていますね。日本が飛ぶ鳥を落とす勢いの頃です。現在は・・・・アメリカに媚びて生きながらえている右下がりの斜陽国家です。近い将来・・・20年後ぐらいに少子化がとどめを刺すでしょうねぇ。・・・10年後か?もう私は生きてないかもしれませんので、どうもできないし半分興味はありません。(笑
さて、ぶらぶらと街中?・・・を歩きます。
フランクフルト200円の貼り紙に誘われて・・・「合田商店」に寄っていきます。
そうそう。豊浜や観音寺は「合田」さんが異常に多いです。会社でも複数いるし、知人も複数いるし・・・クルマで走っていてお店の名前見ても「合田」は多いし・・・・有名どころ全国展開の「合田工務店」は観音寺発祥の会社です。三豊地区のお墓へ行ったら、合田家だらけ。・・・・ネットで調べても観音寺では2番目に多い姓。豊浜町では一番多い姓。なんででしょうねぇ。土着の一族なんですかねぇ。
食料品、日用雑貨の店ですね。コンビニでしょう?伊吹島はまだこういう店があるから都会的です。高見島や男木島にはないですね。でも島へ行く時は基本、何も買えないと思って飲み物や間食類は持っていきましょう。
お店のような、半分事務所のような・・・
豚ポルコのイラストは誰が描いたん?(笑 島に住む人は「紅の豚」のように飛行艇を自家用に持つのが夢なのかも。
観光客の人たちがお店に入ってきては、このいりこを買っていきます。みんないりこ出汁をとるんですかね。鯵子の佃煮200円がおすすめです。めちゃうまい。
冷蔵庫には観音寺の豆腐・・・「カンショク」やん?二十代のころに仕事で行きましたねぇ。えび天もありますね。
フランクフルトを注文したら、受注生産だったようで・・・「すぐできますから」と焼いてくれました。焼けるのを待ってたら、テーブルで食べてたおばあちゃんが「ようしょくもおいしいで。」と勧めてくれました。
「ようしょく?お好み焼きのこと?うちの方でもようしょくって言うけど?」
「お好み焼きより薄いんや。」
だそうです。フランクフルト焼いてくれてる女将さんに「ようしょく」も追加しました。焼ける間、おばあちゃんと世間話してました。伊吹島にもちょうさ(太鼓台)があるという話になって・・・3台あるとか。えぇ?3台も?しかもその坂道を上ったり下りたりするんやろ?そらそうや。豊浜や観音寺みたいに大きはないけどな。やっぱり、田舎ほど祭りの情熱は強いらしい。この前の宇多津まつりも予想外に盛り上がっていましたね。
フランクフルトが焼けました・・・ケチャップは自分でかけてねって。・・・・あれ?なんかイメージしてたのとちょっと違う・・・もう、コンビニのフランクフルトが当たり前な自分に気がつきました。(笑 まぁ、200円ですから。大学の時に文化祭でやったフランクフルトを思い出しました。1本100円で売ったかなぁ。
ようしょく焼きができました。300円。私が待ってる間に横浜から来たと言うご夫婦も「ようしょく」を注文して、同じテーブルに座ってました。
60代半ばくらいかなぁ・・・なんか二人とも物腰が柔らかくて、言葉遣いからも関東の人だろうと思って「どちらからいらしたんですか?」って聞いたら「横浜です」と返事が返ってきました。あらまぁ、横浜の人でした。元カミさんの実家が鶴見区で、昔よく行ったんですよ。東寺尾のあたり・・・・「あぁ、近くです。」と、大抵、こういう返答が返ってきます。「国道1号線の島忠の近くです」って言ったら「よく行きます」って言いますもんね。(笑
前日が日本シリーズの第1戦で、阪神が勝った翌日だったので、私が2023年の日本シリーズ優勝のTシャツ着てたのに旦那さんが気づいて
「昨日の試合、すごかったですねぇ。阪神強いですねぇ。このまま勝ちそうですねぇ。」
と、少し野球の話で盛り上がりました。(笑
「いやいや、ソフトバンクの方が強いですよ・・・」
とこの時は、謙遜しながらも7、8割は日本一になるのは阪神だと思っていたんですねぇ。まさかそのあと4連敗するとも知らないで。(涙
「地元のベイスターズはねぇ・・・ダメでしたねぇ。」
「いやいや、去年日本一になったし、シリーズ終盤もすごい勢いでしたよ。怪我人が多かったのは痛いですね。」
と話しているうちに、横浜のご夫婦の「ようしょく」もできました。
「ようしょく」・・・私が想像していたのよりも簡単なお好み焼きでした。これって・・・おやつで食べるお好み焼きもどきだな。小麦粉を溶いたベースはお好み焼きといっしょで、具がネギとあげ玉とえび天のみで、しょうゆ味です。私はふつうにお好み焼きに醤油をかけますので・・・味もふだんのお好み焼きと同じです。横浜のご夫婦は醤油味に感動していました。お好み焼きはソースが一般的ですからね。
横浜の旦那さんが
「中に入っているピンク色のは・・・サーモンかなぁ?」
「えび天ですよ。観音寺の。」
「へぇ。」
とまぁ、ここでも一期一会。島の瀬戸芸はいろんな出会いがあって面白いです。・・・・その2につづく。
香川県人にはなじみの島。とは言っても伊吹島へ行ったことがある人は少ないでしょう。かくいう私も20代の頃に知人がプレジャーボートで海釣りに連れて行ってくれた時に「あ、伊吹のあたりはいりこのカスが流れてきて、魚がおるわ。」と言って島のいりこの加工場の近くでアジやさサバを数十匹釣ったことがあります。上陸はしてないんよなぁ。親父に「放るような魚いっぱい取ってきて・・・」と言われました。(笑 アジフライ、サバ塩焼きにして食べたらおいしかったです。
観音寺港から船で移動。・・・の前に港に十分な駐車場がないので、港は駐車禁止。観音寺駅の近くの観音寺市民会館からシャトルバスで移動です。あ!建物はすっかり新しくなってますが・・・ここって中学の時に吹奏楽のコンクールで来たところだ。なつかしい。
9時30分の船に乗るのに1時間前くらいに来ておけば余裕だろう・・・と思ったら、8時40分発のシャトルバス1便が満員で積み残し。とりあえずそれには乗れました。観音寺港までバスで10分。
船のチケット買うのに並びます。
後の大きいフェリーかと思ったら、手前の赤い高速船。あやうく積み残しになるところでした。観音寺港はむかし来たことありますが、ここから船に乗るのは初めて・・・あ、社員旅行で広島へ、高速艇2隻チャーターで乗ったことがあったっけ。あれ、バブルの頃やな。(笑
天気が雨で・・・外の景色はもやってて真っ白でした。
船内は満席で・・・詰め詰め。身動き取れません。ん?なんか今までの瀬戸芸の島へ向かう船内とは雰囲気が違う・・・・ほとんどが日本人の高齢者です。私も含めて。(笑 他の島へ行く船は台湾人や韓国人、その他西洋人が多いのですが、ここは少ない。というか・・・私の隣の女性二人が中国人でした。それ以外はいなさそう。
「台湾人でしょう?」
「ちがう。中国人。」
「え?どこから来た?」
「北京です。」
「ほー、北京から?ようこそいらっしゃいました。」
「中国語できるのね?」
「10年前に深センにいました。」
「仕事で?」
「うん、仕事でね。」
「それはいいわね。」
と中国語で会話したので、台湾人ではなく中国人とわかりました。たぶんアラサーの女子二人。後ほど出てきます。
ほら、こんな感じで私よりも年配の夫婦とか、単独日本人です。これがどうも県外の人たちらしいです。時間とお金に余裕がある世代ですね。瀬戸芸はそういう人たちにちょうどいい旅行かもしれません。
25分で伊吹島に到着。港の横にすぐ、いりこ加工工場がありますが、これがずっと海岸線に続いているんですよね。いりこは獲って30分以内に茹でないといけないので、こうなっているそうです。
案内所と土産物売り場。高見島よりは充実してそうですね。
島の猫ちゃんも「よぅ来たのぅ〜」と歓迎。
港は大漁旗とズラっと並ぶ原付。どうやら島の足は原付のようです。
この狭い急坂が伊吹島のメインストリート。なるほど、原付が便利なわけです。
こういう斜面に建つ古民家の風景を見ると、いかにも島の風景という感じです。ノスタルジー。私たちの世代はそういうのを求めて島に来るんでしょうねぇ。
最初の作品、「最後の退避所」はラオスの作家、ブンポール・ポーティザン氏によるもの。
・・・・地域は人口流出による後継者不足で、文化や伝統が失われる危機に瀕している。竹と金属でできた神輿のようにも見えるオブジェは、大都市へ移住した新世代の島民に着想を得たもの。竹は団結と協力の精神を反映し、金属は「家」や漁師の道具を象徴する。金属の網は堅固でありながら透けて見え、存在しながらも忘れ去られつつある文化を示唆する。本作は、人口減少と移住による文化の喪失という緊急課題について鑑賞者に考えさせ、地域社会が持つユニークで豊かな伝統を、消え去る前に大切にし継承することの重要性を呼びかけている。・・・・
公式コメントによる。うーむ、私は複数の竹の腕、手袋に支えられたワイヤーの船。現代の社会はもろい下層階級に支えられて成り立っている・・・を表現しているかとプロレタリア的な感想を持ちましたねぇ。
さらにメインストリートの坂を上っていきます。船でいっしょに来た人たちはどこへ行ったのか?散り散りになりました。
沿道の家にいたお母さんに「こんにちは。」と挨拶すると、
「どこから来たん?」と聞くので
「高松です。お邪魔させていただきます。」
「高松な。今日は雨降るいうて言いよったでしょう?天気がええ時に来たらええのに。」
「来週は連休やから混んでると思うて。今日しか来れんので来ました。」
「そうなぁ。ゆっくり見て行ってな。」
「はい。」
と一期一会。島のお母さんとコミュニケーション。私は所詮、よそもんですからね。見せてもらってるという気持ちを忘れてはいけません。うちの近所の「うみまち商店街」も正体不明なよそもんがいっぱい来ますから。その気持ちは少しわかります。
こういう木造、瓦葺の家が適度に手を入れつつ、しっかり残ってる。このベンチとピカピカのスーパーカブがまたいい味出してて。
次は旧伊吹小学校。生徒数が減って2010年に小学校と中学校を統合したそうです。現在はこの先にある中学校の校舎が使われています。そこへ通っている生徒は小学校5人、中学校6人。まぁ、しょうがないですね。
右に写っている軽自動車。よく見てください。観音寺市の乗り合いバス。以前から島では軽自動車を使っているそうです。まぁ、道が狭いですからね。
1階は「伊吹しまづくりラボ」
1/300の島の模型が展示されています。これを見て思い出した。小学校の時に授業で香川県の立体地図を作るんですが、等高線ごとに切られた山を切って積み重ねていくんです。その時に伊吹島のカタチに切ったのを無くしてしまって・・・・適当に同じように切って貼りました。(笑 あの頃は伊吹島なんか、めちゃ遠い場所で、全然知らんかったのに・・・・さぬきうどんに欠かせない「いりこ出汁」のいりこの島だったとは。
いっぱい立ってる旗に、住んでる人の名前や、建物の名称が書かれています。こうして見ると、島の中央部の比較的平らな場所に多く住んでいるのがわかります。あぁ、そういえば観音寺の会社にいる時に、うちの部署に伊吹島出身の女の子がいたなぁ。かわいい娘だったけど資材の主任と結婚したよなぁ。
これはいりこですか?いりこはカタクチイワシの稚魚で、もっと小さい時はちりめん、しらす。成魚になるとイワシよりも細身のメザシになるようです。私はちりめんは好きですけど、メザシはあまり好きじゃないです。
昔の島の写真。昭和25年って戦後復興期ですね。
岡村桂三郎氏の作品「西冥の魚」・・・・は内容を一部変更し、特別展示「海と生命」となっています。え?どういうこと?
予定していた作品ができずに、別のものになったということかな。3カ所で展示。ここにあるのは巨大魚。
うわ、収まり切らん大作。
巨大魚です。カタクチイワシではない。
・・・・バーナーで焦がした杉板を支持体に、厚く塗られた下地に線を彫り込んで行く、岩絵の具という伝統的な素材を使用しながら、従来の日本画の範疇にとらわれない独自の作品世界を持つ。描かれる神象など想像や神話上の生き物がダイナミックに画面上に展開し、力強い刻線が、生命力の豊穣を表現している。・・・
近くで見ると・・・・目があるやん?チェンソーマンに出て来る悪魔っぽい。これどうやって描いてるんやろう?って思いますねぇ。不思議な屏風です。
ほんとに、ふつうに学校の廊下です。
次の作品は「反響」。インドネシアの作家、ジョンペット・クスウィダナント氏の作品。からくり系ですね。
無人の教室に、衣装と楽器でマーチングバンドを再現しています。
透明人間がいるような・・・・シュールな作品。不定期に打楽器とトランペットの音が響く・・・インスタレーションですねぇ。
次の作品は・・・「ものがみる夢」。アレクサンドラ・コヴァレヴァと佐藤敬によって2019年に設立。東京とモスクワを拠点に活動する日露建築家ユニットの作品。
一瞬、「あれ?何もないやん?」ってスルーしそうになりました。(笑
網が張られているんですよ。この網が海を表現しています。天気が悪かったので窓の外が真っ白ですが、天気が良ければ青い海が見えたはずです。網がその海につづくように。まぁ、天気が悪い日には天気が悪いなりの海にも見えますねぇ。
窓から外の景色を眺めると・・・いりこになるカタクチイワシが泳ぐ燧灘(ひうちなだ)が見えますが・・・・真っ白。残念。
運動場には立派なトイレが建っています。
これはトタンですか・・・・
迷路のようになってますが・・・綺麗なトイレでした。
小学校の前には日露戦役記念碑が。大東亜戦争はあまりに被害が大きく、敗戦しましたのでこういう慰霊碑はだいぶ後に作られたと思いますが、日露戦争は戦争に勝利したせいか、慰霊碑が意外にあちこちに残っていますね。日本が飛ぶ鳥を落とす勢いの頃です。現在は・・・・アメリカに媚びて生きながらえている右下がりの斜陽国家です。近い将来・・・20年後ぐらいに少子化がとどめを刺すでしょうねぇ。・・・10年後か?もう私は生きてないかもしれませんので、どうもできないし半分興味はありません。(笑
さて、ぶらぶらと街中?・・・を歩きます。
フランクフルト200円の貼り紙に誘われて・・・「合田商店」に寄っていきます。
そうそう。豊浜や観音寺は「合田」さんが異常に多いです。会社でも複数いるし、知人も複数いるし・・・クルマで走っていてお店の名前見ても「合田」は多いし・・・・有名どころ全国展開の「合田工務店」は観音寺発祥の会社です。三豊地区のお墓へ行ったら、合田家だらけ。・・・・ネットで調べても観音寺では2番目に多い姓。豊浜町では一番多い姓。なんででしょうねぇ。土着の一族なんですかねぇ。
食料品、日用雑貨の店ですね。コンビニでしょう?伊吹島はまだこういう店があるから都会的です。高見島や男木島にはないですね。でも島へ行く時は基本、何も買えないと思って飲み物や間食類は持っていきましょう。
お店のような、半分事務所のような・・・
豚ポルコのイラストは誰が描いたん?(笑 島に住む人は「紅の豚」のように飛行艇を自家用に持つのが夢なのかも。
観光客の人たちがお店に入ってきては、このいりこを買っていきます。みんないりこ出汁をとるんですかね。鯵子の佃煮200円がおすすめです。めちゃうまい。
冷蔵庫には観音寺の豆腐・・・「カンショク」やん?二十代のころに仕事で行きましたねぇ。えび天もありますね。
フランクフルトを注文したら、受注生産だったようで・・・「すぐできますから」と焼いてくれました。焼けるのを待ってたら、テーブルで食べてたおばあちゃんが「ようしょくもおいしいで。」と勧めてくれました。
「ようしょく?お好み焼きのこと?うちの方でもようしょくって言うけど?」
「お好み焼きより薄いんや。」
だそうです。フランクフルト焼いてくれてる女将さんに「ようしょく」も追加しました。焼ける間、おばあちゃんと世間話してました。伊吹島にもちょうさ(太鼓台)があるという話になって・・・3台あるとか。えぇ?3台も?しかもその坂道を上ったり下りたりするんやろ?そらそうや。豊浜や観音寺みたいに大きはないけどな。やっぱり、田舎ほど祭りの情熱は強いらしい。この前の宇多津まつりも予想外に盛り上がっていましたね。
フランクフルトが焼けました・・・ケチャップは自分でかけてねって。・・・・あれ?なんかイメージしてたのとちょっと違う・・・もう、コンビニのフランクフルトが当たり前な自分に気がつきました。(笑 まぁ、200円ですから。大学の時に文化祭でやったフランクフルトを思い出しました。1本100円で売ったかなぁ。
ようしょく焼きができました。300円。私が待ってる間に横浜から来たと言うご夫婦も「ようしょく」を注文して、同じテーブルに座ってました。
60代半ばくらいかなぁ・・・なんか二人とも物腰が柔らかくて、言葉遣いからも関東の人だろうと思って「どちらからいらしたんですか?」って聞いたら「横浜です」と返事が返ってきました。あらまぁ、横浜の人でした。元カミさんの実家が鶴見区で、昔よく行ったんですよ。東寺尾のあたり・・・・「あぁ、近くです。」と、大抵、こういう返答が返ってきます。「国道1号線の島忠の近くです」って言ったら「よく行きます」って言いますもんね。(笑
前日が日本シリーズの第1戦で、阪神が勝った翌日だったので、私が2023年の日本シリーズ優勝のTシャツ着てたのに旦那さんが気づいて
「昨日の試合、すごかったですねぇ。阪神強いですねぇ。このまま勝ちそうですねぇ。」
と、少し野球の話で盛り上がりました。(笑
「いやいや、ソフトバンクの方が強いですよ・・・」
とこの時は、謙遜しながらも7、8割は日本一になるのは阪神だと思っていたんですねぇ。まさかそのあと4連敗するとも知らないで。(涙
「地元のベイスターズはねぇ・・・ダメでしたねぇ。」
「いやいや、去年日本一になったし、シリーズ終盤もすごい勢いでしたよ。怪我人が多かったのは痛いですね。」
と話しているうちに、横浜のご夫婦の「ようしょく」もできました。
「ようしょく」・・・私が想像していたのよりも簡単なお好み焼きでした。これって・・・おやつで食べるお好み焼きもどきだな。小麦粉を溶いたベースはお好み焼きといっしょで、具がネギとあげ玉とえび天のみで、しょうゆ味です。私はふつうにお好み焼きに醤油をかけますので・・・味もふだんのお好み焼きと同じです。横浜のご夫婦は醤油味に感動していました。お好み焼きはソースが一般的ですからね。
横浜の旦那さんが
「中に入っているピンク色のは・・・サーモンかなぁ?」
「えび天ですよ。観音寺の。」
「へぇ。」
とまぁ、ここでも一期一会。島の瀬戸芸はいろんな出会いがあって面白いです。・・・・その2につづく。
この記事へのコメント