【歴史探訪、今日へ繋がるタイムライン】vol.10 「日英同盟」

歴史ネタ。今回は探訪ではないですが・・・少し前に横須賀基地にイギリスの空母、プリンス・オブ・ウェールズが寄港しましたね。見に行きたかったですねぇ。

イギリス空母のF-35Bのスキージャンプ。過去には、垂直離着陸機のホーカー・シドレー・ハリアーが同じようにSTOL運用でスキージャンプしてましたね。

そしてこれも・・・

航空自衛隊のF-15がイギリス、ドイツに親善訪問を名目に行っとる。ヨーロッパ初上陸。C-2と空中給油機も随行。

5年前にEUから離脱したイギリス・・・あ、イギリスという呼び名は日本だけしか通じなかったですね。イギリスは英語でEnglandって中学の英語の授業で習ってたのに・・・違うじゃん?Englandはあくまでもロンドンがあるイングランドだけを指す名称で、正式にはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドを含めた4つの国で、ユナイテッドキングダム・・・UKです。UKにも行きたいですねぇ。

22年前の2003年、Wさんといっしょに行ったパリのホームでロンドン行きのユーロスターを見たのが一番UKに近づいた時でしたね。あれ、写真残ってたような・・・・
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あった。あった。ユーロスター。ガラケーの画像だから小さいな。(笑

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ついでにグルノーブルから乗ってきたTGVも載せとこう。この頃はまだ携帯で写真を撮る習慣がなかったので、画像少ないんだよなぁ。

私の行きたい国リストの中に、水曜どうでしょうのヨーロッパ21ヵ国完全制覇をレンタカー借りて回る・・・というのがあります。生きてる間に実現するでしょうか。(笑

現UK首相は・・・昨年就任のKeir Stamer キア・スターマー。印象薄い。3年前に辞めたボリス・ジョンソンの後にUK首相は3人目。ブレグジット以降、首相の任期が短いですねぇ。ヨーロッパは長期化するロシア・ウクライナ戦争の影響でずっとよくないですからねぇ。EUを離脱してから、UKもヨーロッパでは孤立してるんでしょうねぇ。

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近代世界史の時間です。(笑・・・・1895年、日清戦争で勝利し、遼東半島を割譲したのに、ここを日本に与えると中国大陸進出の足場になり危険と判断され、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により、下関条約で取り上げられる。長州出身の伊藤博文が首相の時ですね。フランスは広東省の広州湾一帯、広西省、雲南省などの華南地区、ドイツは山東半島の膠州湾、ロシアが遼東半島以南の旅順、大連を租借し、さらにロシアは満州、朝鮮半島へと勢力を拡大しつつあった。

この時代のロシアの風刺図。周辺国を取り込み、首絞めてたりしてますねぇ。わかりやすいです。旅順、大連に足が伸びてます。イギリスはアヘン戦争以降、香港を租借。ロシアとフランスは露仏同盟を結んでいます。ロシアは1900年、義和団の乱で満州に侵攻。

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先日行った、高見島の神社にあった「豊國大明神」のお墓。・・・これ、全国にある豊臣秀吉のお墓です。・・・・知らなかった。たしかに反対側に豊臣秀吉の命日、「慶長三年八月十八日没」と豊臣秀吉の命日が刻まれています。これがこの頃、1901年(明治34年)1月に建立されています。昭和天皇が生まれた年ですねぇ。ん?豊臣秀吉ってなんで死んだ?長野の善光寺が関わってる?善光寺の如来像を京都に移した祟り?それでまた善光寺に戻したって?へぇ・・・知らなかった。あ、話題がそれました。元に戻して・・・

1902年に締結された日英同盟。栄光ある孤立を守る英国が日本と同盟を組んだ目的は、ロシア帝国の極東進出政策。伊藤博文は日露協商派でしたが、山縣有朋、桂太郎ら軍部の開戦派に押し切られる形となり、1904年(明治37年)2月に日露戦争勃発。ロシアは国土が広大ゆえに兵力が分散しており、主力は東部のヨーロッパ側に集中、極東側は比較的少なかったとはいえ、日本よりも兵力、戦艦は多かった。日本は初期の旅順港攻略により有利に進め、地上戦は大韓帝国の仁川から北上。後の総理大臣、当時日銀副総裁であった高橋是清は、戦費調達のため欧州へ飛び、外債を発行。当初は日本がロシアに勝てるはずがないと不人気であった外債だったが、日本軍の進軍が伝わり最終的に戦費の約半分の16兆円を調達。素晴らしい。

10月にロシアのバルチック艦隊40隻が旅順港に向け北欧バルト海を出航。北側は北極海で回れませんね。英国のサポートもあり、艦隊は補給がままならないままアフリカ希望峰を周り、インド洋を経てはるか東の極東を目指します。その間に日本軍は203高地を攻略、1905年1月、乃木大将率いる日本軍が旅順を制圧します。同じ頃にロシアのサンクトペテルブルグでは血の日曜日事件が起こり、全国的な反政府運動が始まり、これが12年後のロシア革命につながります。バルチック艦隊はアフリカ大陸東部のマダガスカルで旅順陥落を知ります。ここで増援を2ヶ月待ちますが・・・・その間にマラリアが蔓延。

旅順陥落後、ロシア軍は北へ撤退、そして史上最大の会戦、奉天会戦となります。日本軍25万対ロシア軍31万。1905年(明治38年)3月、激戦の末、日本軍がかろうじて勝利。ロシア軍はさらに北へ撤退。ちなみに海上では・・・バルチック艦隊はまだ来ません。4月にやっとフランス領、ベトナムのカムラン湾で最後の補給。実は日英同盟のおかげで、バルチック艦隊の動向は海底ケーブル等の情報網により日本に伝達されていました。

ハーバード大でルーズベルトと同窓生だった金子堅太郎が密使としてアメリカでルーズベルト大統領に講和を斡旋。そして1905年5月に約半年かけて到着のバルチック艦隊。対馬沖で日本の連合艦隊とようやく会戦。バルチック艦隊は半年の往路ですでに疲弊しており、ウラジオストクに逃げ込むつもりでした。丸一日の戦いで、バルチック艦隊38隻中21隻沈没、6隻拿捕。日本艦隊96隻中水雷艇3隻沈没のみ。東郷平八郎の日本海軍が圧勝。ロシア軍降伏。しかし、ロシアは自国の領土は失っておらず、満州から撤退したのみなので、日本軍の別働隊は樺太全土を3週間で制圧し、アメリカ仲介によりロシアとポーツマス講和条約を結び日露戦争は終結します。戦争はどう終わらせるかが重要ですね。現在のロシア・ウクライナ戦争もアメリカを仲介役に妥協点を探ってます。アメリカは武器供給で戦争が長期化すれば特需で儲かるからそんなにあせってないのかな。中国もロシアに武器供給で儲かってるのかな。

ざっくり日露戦争を要約してもこのくらいになります。まぁ、しかしここで日本海軍のレベルが高いことが世界中に知れ渡り、先進国に目をつけられることになります。ただ、ポーツマス講和条約の結果、日本が得たものは樺太の半分と遼東半島の租借権、南満州鉄道の権利と朝鮮半島と満州の支配権であり、賠償金はゼロという・・・・屈辱条約となりました。日本国内ではこの結果に不満が爆発、日比谷焼打事件などの暴動が起きます。中学の社会の先生が「日本はシベリアの半分をもらってくると思ったら、予想外に恩恵が少なかった」と言ってたのを覚えています。これ、ロシア側からすれば負けてないと思ってたんでしょうねぇ。結果から言えば、兵士はお互いに大勢戦死したのは痛み分けとして、失った自国の領土は樺太半分だし、所有していた艦艇も3分の1を失っただけですね。ただ、ロシアは楽勝で勝てる相手、アジアの島国の小国がここまでやるとは思ってなかったでしょう。

日露戦争は世界史においても大きなターニングポイントとなります。ヨーロッパ列強国とアメリカ以外にアジアの小国が台頭してきたことにより、植民地だったアジア諸国に独立の機運が生まれます。東欧諸国は今でもこの時の日本の活躍を「よくぞロシアをやっつけてくれた」と賞賛してくれるそうです。そして・・・この後、ヨーロッパの第一次世界大戦へとつながるわけです。 

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日露戦争後、伊藤博文は初代韓国総督府の統監に就任。1909年韓国人独立運動家にハルビンで暗殺されてしまいます。これを機に1910年(明治43年)、日本は韓国を併合。この時点での大日本帝国の領土は、樺太の南半分と台湾、朝鮮半島が含まれています。
1911年に辛亥革命が起こり、当時5歳の清の皇帝、愛新覚羅溥儀が退位し清は滅亡。孫文率いる共和制の中華民国が誕生。
ラストエンペラーの溥儀は後の1931年、満州事変で成立する日本の傀儡国家、満洲国の執政となります。

1912年(明治45年)明治天皇崩御。大正天皇が践祚。

同時期、ヨーロッパではバルカン半島でバルカン戦争が起こり、これを引き金にロシア、フランス、イギリスの三国協商、ドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリーの三国同盟が対立。一触即発の状態となり、1914年、サラエボ事件を発端に連鎖的に次々と紛争が拡大していきます。ロシアとの東部戦線、フランスとの西部戦線によりドイツ帝国をはさみうち。日本は戦場から離れていましたが、大隈重信首相の時に日英同盟の関係から参戦。ドイツ領の南洋諸島と山東半島を制圧します。ドイツはUボートを全世界に展開し、無差別に撃沈する暴挙に出ます。アメリカも連合国側で参戦。世界中を戦争に巻き込み後に第一次世界大戦と呼ばれる世界戦争となります。1918年、ロシアが戦線から撤退。革命により社会主義国ソヴィエト連邦が誕生。周辺国も取り込みます。

日本はさらにインド洋、地中海に海軍を派遣。大きな被害を受けていた連合国側の輸送船の護衛任務を担当し、絶大な護衛任務を成功させ、日露戦争後、さらに日本海軍の知名度をヨーロッパ諸国に知らしめました。その後、4年続いた戦争で疲弊したドイツでも革命が起き、ドイツ共和国が誕生。ドイツ降伏により戦争終結となる。ヴェルサイユ条約締結。国際連盟成立。世界史のテストに出ますね。

第一次世界大戦後、束の間の平和は訪れますが・・・1921年ワシントン会議において太平洋地域に関するアメリカ、日本、イギリス、フランスの4ヵ国条約を締結。サイパン、パラオ、マーシャル諸島を含む南洋諸島が日本の統治領であったため、後々、アメリカの持つ太平洋支配地域のフィリピン、サイパン、グァム、ハワイを分断することと、もしも日本と紛争になった時に英国が同盟により加勢すればアメリカは太平洋と大西洋の両側から攻められる可能性を考え、イギリスと日本に日英同盟を破棄するよう要求し、イギリスと日本はアメリカを敵に回したくないためにこれを受け入れます。

これが20年後の大東亜戦争への布石だったんでしょうねぇ。出る杭は打たれる。アメリカはこの前から日本を警戒しています。南洋諸島が日本の統治領のままであれば、戦況は変わってましたね。とまぁ、長くなりましたが・・・・日英同盟を語る上では、ここまでの経緯を理解しないといけないでしょう。つくづく、ペリー来航から明治維新、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦までの一連のつながりを認識しないと・・・最後の第二次世界大戦の内容だけでは不十分です。どうして日本がそういう行動を取ったのか・・・・諸悪の根源は文明が進んで大航海時代を制したヨーロッパのイギリス、フランス、スペイン、ポルトガルが植民地支配していったことから始まっています。ロシアは元々広大だったから周辺国を取り込む感じですね。わざわざ出向いて行ってないです。

第二次世界大戦後、日本はアメリカの属国に成り下がって現在に至りますが・・・・この先もこのままなんですかねぇ。アメリカのご機嫌伺って言われるまま。UKも同様、下り坂で上がる要素はないですねぇ。衰退の一歩です。UKと新日英同盟を組む意味はあるんかなぁ。アメリカ依存を減らしたいのは両国共に同じ思いでしょうねぇ。アメリカを怒らせない程度に反抗する長男、次男といったところでしょうか。いや、そんな親を持った覚えはない!と、アメリカに対して日本は男らしく独り立ちしてほしいものです。

アメリカは同盟国にハイエンド戦闘機F-22は提供していません。廉価モデルのF-35までです。それで次期第6世代戦闘機を日本、英国、イタリアで開発しようと動いています。王室のある英国と皇室のある日本は古くから親交のある数少ない国です。英国も一応、島国ですがあまりに近い欧州の国々との永年にわたるしがらみがあまりに多い国ですねぇ。MI-6のジェームス・ボンドに活躍してほしいですけど、受け入れ難い最期を遂げましたからねぇ。新シリーズでの復活を期待しましょう。なんのこっちゃ。(笑

やはり日本は、「攻殻機動隊」の茅葺総理の、親米ではないが親中でもなく、『一身独立して、一国独立す』・・・・・中国並びにアジア諸国、米露、EUと同様の距離を保った上で、日本が独自の判断で動く外交政策をとる単独国連協調路線がいいんじゃないですかねぇ。敵も作らず、味方も作らない。・・・・というと聞こえはいいけど、やっぱり孤立するんかなぁ。他国の言いなりで偽りの平和ってのもどうかと思うけどなぁ。まぁ、それはリスクは伴うけどねぇ。いや、このままアメリカの属国でもこの先、戦争に巻き込まれるリスクはあると思うけどねぇ。その時に「いや日本は平和主義ですから関係ないです。憲法にそう書いてますから」・・・とは言えんでしょう。それこそ平和ボケです。

以上、日英同盟に関する能書でした。久々に歴史を勉強しましたね。近代史は現代につながっているのでおもしろいですね。(笑

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