【歴史探訪、今日へ繋がるタイムライン】vol.9 「糸より姫」

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歴史ネタ。地元、西浜の「糸より姫」様です。

9月28日に浜ノ町から扇町の愛宕神社に銅像が移設されました。子供の頃からあった住宅地の中から神社の境内に移ったので、多くの人に見ていただけることでしょう。

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西浜公園(扇町公園)のすぐ東側にある神社です。子供の頃は毎年欠かさずお祭りに行ったものですが、最後に行ったのはいつだろう?近くの権現さん同様、境内で行われるお祭りで、屋台も数軒出るだけですが、子供心にお祭りは夜まで遊べるイベントであちこち行ったものです。

さて、糸より姫様。時を遡ること1314年。鎌倉時代末期です。大覚寺統、後宇多天皇の第二皇子の後醍醐天皇が皇太子時代に後の皇后、西園寺禧子との間に女の子が生まれます。駆け落ち?だったか・・・・歴史上ではこの娘の詳細が書かれておらず、若くして(子供の時に?)亡くなったとされています。この娘が糸より姫という伝説です。歴史上はこの翌年、1315年に生まれた懽子内親王が史実に残されています。

1324年 正中の変、1331年元弘の変と二度の討幕計画が発覚。失敗に終わり後醍醐天皇はご存知のように隠岐へ流されます。

1333年、鎌倉幕府は、源頼朝、北条義時以降、北条氏の執権政治を続けており、全国統治を果たすものの1274年、1281年の元寇以降、政局は不安定となり、諸国では悪党がはびこり幕府は武士層から信頼を失いつつあった。朝廷では後嵯峨天皇以降、大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)に分かれ、両統迭立により交互に天皇を即位させていた。鎌倉幕府は持明院統(北朝)の光厳天皇を擁立、即位。

後醍醐天皇が隠岐に流された後、皇子の護良親王が王政復古を目指し、鎌倉幕府打倒を諸国の御家人に呼びかけます。

【湯けむり探検隊 うさぎちゃんを探して】vol.49 「星乃岡温泉」愛媛県 松山市


5月に行った、松山の星乃岡温泉がその古戦場でした。偶然立ち寄った温泉でしたが、何気に糸より姫様に縁の場所でしたね。不思議なことに道を間違えて吸い寄せられるように入った道だったんですね。単なる偶然ではなかったのかも。(笑

1333年、長門探題の北条時直が伊予勤王軍の討伐に来て、星乃岡城が北条軍に占拠されましたが、土居、得能、忽那、大祝らの連合軍により星乃岡城を奪還。探題府の兵を退けました。新田義貞や足利尊氏が加わる前です。この勝利により朝廷側につく武士が増え、建武の新政につながったとされています。

後醍醐天皇の討幕に呼応した楠木正成、赤松則村らが幕府軍に抵抗。幕府側の御家人、新田義貞や足利尊氏らも朝廷側へ寝返り、諸国の反幕府勢力を集める。後醍醐天皇は隠岐を脱出。足利尊氏は京都で六波羅探題を滅ぼし、新田義貞は鎌倉で北条一族を滅ぼし、鎌倉幕府を滅亡させた。天皇の世継ぎ争いを絡めて平安時代から鎌倉幕府を作ったはずなのに・・・末期には結局また天皇の世継ぎ争いから幕府滅亡。

後醍醐天皇は自らが政治を行う「親政」を開始。皇子の護良親王を征夷大将軍に任命。足利尊氏を鎮守府将軍に任命。年号を「建武」とし建武の新政が開始される。旧領回復令、寺領没収令、朝敵所領没収令、誤判再審例が発布。京の京都は土地所有権の認可を申請する者が殺到した。結局、さばききれずに国司に任せた・・・ということは、結局、前言撤回ということです。鎌倉幕府討幕に功績のあった足利尊氏は鎮守府将軍を任じられ、武蔵、常陸、下総の所領を与えられるが、政権に加わえられることはなかった。

鎌倉幕府滅亡後も北条氏残党が鎌倉を占拠しており、この討伐に足利尊氏が向かい、北条一族を倒すが、その後も足利尊氏は京には戻らず、鎌倉に居座る。後醍醐天皇は新田義貞に足利尊氏討伐を命じるが、新田軍は敗れ、足利尊氏軍が入京。後醍醐天皇は比叡山へ逃亡する。足利尊氏は光厳上皇の弟、光明天皇を即位させ、北朝が誕生する。足利尊氏が征夷大将軍に任命され、1336年、室町幕府が成立する。建武政権はわずか2年半で崩壊。しかしながら比叡山で後醍醐天皇は南朝を継続し、この後60年、天皇が二人存在する南北朝時代となる。まぁ、平安時代から鎌倉時代の時のように相変わらず混乱を極めますねぇ。栄枯盛衰、盛者必衰。歴史は繰り返されます。

1338年、糸より姫が25歳の時、南北朝の騒乱から讃岐国、玉藻の浦の西浜へ従者とともに落ちのびて地元の漁師、乙吉と夫婦になって生涯を過ごしたとされています。

私が子供の時に聞いたのは、糸より姫が海に浮かんでいたのを漁師が助けた・・・だったと思います。

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後醍醐天皇と皇后、西園寺禧子の間に生まれた娘・・・・糸より姫の1年後に生まれた懽子内親王は、16歳で伊勢斎宮に入り、後醍醐天皇が隠岐へ配流後は、後の北朝天皇となる光厳天皇の後宮へ19歳で入京、その後皇后となる。もしもこの懽子内親王の1歳年上の姉である糸より姫がいたとしたら・・・伊勢斎宮、光厳天皇の後宮にいたでしょう。生まれた後、25歳までどこで何をしていたかの史実はありません。誕生後間もなく早逝したと推測されています。

南北朝時代の詳細。ほぉ、比叡山に立て籠った南朝は無くなったと思っていましたが、その後、後南朝として密かに続いていた・・・・しかも明治天皇が「南朝が正統」と認めたとは。それで南北朝時代の天皇は、南朝側がカウントされて、北朝は北1、北2になって北6代の後小松天皇から100代天皇になっているのか・・・・しかも太平洋戦争の終戦後、GHQの占領下で南朝の末裔、熊沢天皇が昭和天皇に退位を迫ったとは・・・・知らなかった。明治天皇すり替え説まであるとは・・・現在も渦巻いていますが、昔からいろんなことが渦巻いていますねぇ。

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糸より姫伝説も南朝伝説のひとつでしょうねぇ。漁師乙吉との間に一男六女をもうけたとありますので、約700年後の私のDNAに後醍醐天皇のDNAが残っているかもしれませんねぇ。

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