【遍路みち 八十八】vol.24 「第三十四番 種間寺」高知県 高知市 春野町
遍路ネタ。今回の足摺岬含めた遍路旅の最後はここです。「第三十四番 種間寺」。高知市まで戻ってきました。ここまで来れば、次は日帰りでも少し回れそうです。
種間寺。平地にある広い境内のお寺。一つ前の「清瀧寺」が狭い山道の上だったので、こういうお寺だと安心しますね。
このお寺、起源は弘法大師の訪れる200年前、6世紀の頃とかなり古いです。倭の国は朝鮮半島の百済と懇意にしており、渡来人も多く訪れ、の皇仏教が伝えられ、百済皇子から仏師や造寺工が送られ、四天王寺が作られました。その仏師や造寺工が帰途の際に土佐沖で暴風に遭ったって・・・朝鮮半島へ帰るのになんで土佐沖を通っているのか・・・・その時に難を逃れ寄港したのが、種間寺の近くだった。そこに海上安全を祈って、薬師如来像を彫像し、祀ったのが起源だそうです。
弘法大師はその200年後に唐から戻った後に寺を訪ね、唐から持ち帰った五穀の種子の米、麦、あわ、きび、ひえを境内に蒔き、そこから「種間寺」と名付けられたそうです。なかなか・・・普通っぽいお寺に見えますが、歴史と由緒あるお寺ですねぇ。
昭和45年の台風の後に再建のコンクリート製の本堂はなかなか大きいです。本堂の前に立つ・・・これは卒塔婆じゃないか?巨大だけど。親父の十三回忌に作った角塔婆。おじゅっさんが「今は角塔婆作るんは西浜の人ぐらいですねぇ。作らん人も多くて、作っても板塔婆が多いですよ」と言ってました。そういえば、うちのお墓の卒塔婆は昔から角塔婆だったなぁ。
こうして本堂の前に立っていると、七年に一度の善光寺の御開帳の時の回向柱を思い出します。息子たちが小さい頃に触れましたねぇ。何年前だ?三年前に御開帳があったので・・・三十一年前ですかねぇ。月日が流れるのは早いものです。
大師堂。夕方5時前。時間切れです。納経堂は閉まります。しかしまぁ・・・高知のお寺は間隔が広くて・・・1泊2日でかなり走りました。三十三番から室戸岬までは効率よく回れそうな気がします。次は「第三十三番 雪蹊寺」からです。
実はここは・・・桂浜の近くです。この後、桂浜に寄っていきます。
種間寺。平地にある広い境内のお寺。一つ前の「清瀧寺」が狭い山道の上だったので、こういうお寺だと安心しますね。
このお寺、起源は弘法大師の訪れる200年前、6世紀の頃とかなり古いです。倭の国は朝鮮半島の百済と懇意にしており、渡来人も多く訪れ、の皇仏教が伝えられ、百済皇子から仏師や造寺工が送られ、四天王寺が作られました。その仏師や造寺工が帰途の際に土佐沖で暴風に遭ったって・・・朝鮮半島へ帰るのになんで土佐沖を通っているのか・・・・その時に難を逃れ寄港したのが、種間寺の近くだった。そこに海上安全を祈って、薬師如来像を彫像し、祀ったのが起源だそうです。
弘法大師はその200年後に唐から戻った後に寺を訪ね、唐から持ち帰った五穀の種子の米、麦、あわ、きび、ひえを境内に蒔き、そこから「種間寺」と名付けられたそうです。なかなか・・・普通っぽいお寺に見えますが、歴史と由緒あるお寺ですねぇ。
昭和45年の台風の後に再建のコンクリート製の本堂はなかなか大きいです。本堂の前に立つ・・・これは卒塔婆じゃないか?巨大だけど。親父の十三回忌に作った角塔婆。おじゅっさんが「今は角塔婆作るんは西浜の人ぐらいですねぇ。作らん人も多くて、作っても板塔婆が多いですよ」と言ってました。そういえば、うちのお墓の卒塔婆は昔から角塔婆だったなぁ。
こうして本堂の前に立っていると、七年に一度の善光寺の御開帳の時の回向柱を思い出します。息子たちが小さい頃に触れましたねぇ。何年前だ?三年前に御開帳があったので・・・三十一年前ですかねぇ。月日が流れるのは早いものです。
大師堂。夕方5時前。時間切れです。納経堂は閉まります。しかしまぁ・・・高知のお寺は間隔が広くて・・・1泊2日でかなり走りました。三十三番から室戸岬までは効率よく回れそうな気がします。次は「第三十三番 雪蹊寺」からです。
実はここは・・・桂浜の近くです。この後、桂浜に寄っていきます。
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