【歴史探訪、今日へ繋がるタイムライン】vol.5 「ジョン万次郎像」高知県 土佐清水市 足摺岬

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歴史ネタ。「ジョン万次郎像」。

足摺岬に建っていた銅像です。ジョン万次郎・・・漠然とは知っていました。江戸時代にアメリカへ行って帰ってきた人。小学生の頃に友達の誰かが読書感想文で「ジョン万次郎」の伝記を読んで書いたんだったかな。それで一時期ことあるごとにみんなで声を揃えて「ジョン!・・・まんじろう!」と言うのが流行りました。(笑

1841年、江戸時代に14歳だった万次郎は、土佐清水市中浜に漁師の次男として生まれ、仲間と共にアジ・サバ漁に出て遭難。数日間漂流した後、鳥島に漂着します。

鳥島?どこ?・・・・沖ノ鳥島とか南鳥島というのは聞いたことありますね。まぁ、似たような場所です。

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絶海の孤島。八丈島のさらに倍以上の距離の沖にある無人島です。ここに漂着して、アホウドリを捕まえたり、海藻を食べたり、溜水を飲んでなんとか生きのびたそうです。すごいサバイバル。

そして143日後にウミガメなどの食糧調達のためにここへ立ち寄ったアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されます。いっしょにいた仲間2人はハワイで下船しますが、万次郎はそのまま捕鯨船員として船に残り、太平洋を航海後、希望峰を周りマサチューセッツ州のフェアヘーブン港へやってきます。万次郎は勤勉で優秀だったんでしょうねぇ。アメリカの船で異国の技術、言葉、考え方を習得したんでしょう。ホイットフィールド船長は万次郎を養子として迎えます。

当時16歳の万次郎は、オックスフオード校(初級)バートレット専門学校(上級)で、英語、数学、測量、航海、造船等の教育を受けます。偶然とはいえ、江戸時代の田舎の漁師の息子が、アメリカの学校で教育を受けられようとは・・・運命ですね。その後、彼は捕鯨船の航海士となり、21歳で副船長となります。

これって180年前の話ですが、まるでスタートレックのような話です。救難信号を受けて宇宙での遭難者を救出。エンタープライズで働くうちに惑星連邦の方針に共感して、スキルアップして艦隊士官になるって...何度かあったような話です。アメリカのフロンティア精神はこういうところにあるんですね。

その後、ゴールドラッシュのカリフォルニアへ行き、23歳、金鉱で得た資金で、ハワイにいる仲間を訪ね、共に1851年、24歳の年に日本へ帰国しました。明治元年は1868年です。万次郎が薩摩藩領、琉球に上陸したのはその17年前ですね。薩摩藩の尋問後、土佐へ帰れたのは2年後でした。浦賀にペリーが来たのは1853年。万次郎は土佐藩の士分となり、さらにアメリカの情報が欲しかった幕府より翻訳や通訳、造船指揮の仕事を任されました。

1860年、万次郎33歳の時に勝海舟の咸臨丸に乗り、福沢諭吉らと日米修好通商条約の批准書交換のためにアメリカへ渡ります。この時の功績は大きいですね。その後、日本は明治維新を迎え、現在に至ります。

ジョン万次郎の功績は、日本ではあまり大きく取り扱われていませんが、アメリカでは日本へ送った親善大使として高く評価されています。たしかにホイットフィールド船長が万次郎を見初めて、アメリカでの教育を受けさせたことが、後の日本とアメリカの関係に寄与していますので、明治維新への影響も多大にあったことでしょう。偶然が重なったとはいえ、とてもすごい事だと思います。

現在の日本を考える上で、やはりこの頃からの世界における日本を理解しないといけない気がしますねぇ。ともすれば太平洋戦争後の日本のことしか考えない風潮がありますが、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と20世紀初頭から起きた戦争の流れを考えないと理解できないですねぇ。おいおい掘り下げていきましょう。

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