シーサイドボウルが6月28日で閉店!
浜街道沿いにある浜ノ町のランドマークであるシーサイドボウル。場所を説明する時に「あの浜街道にシーサイドボウルがあるやろ?」高松市内に住んでる人なら大抵わかります。そのシーサイドボウルが6月28日で閉店となります。
少し前からこの情報は知っていました。コロナ禍でもかなり営業存続は厳しかったと思いますが、とうとう閉店となるようです。52年前からそこにあるので、特に何も思わなかったですが、改めて52年前の建物だと認識して見てみると、なんと斬新的で個性的な建物か。よくもまぁこんなデザインで作ったなぁと感心します。窓とか丸いし、白、青、水色のストライプ。ボウリングのピンがそびえるような形状。こんな建物、他で見たことないですね。もしかしてグッドデザインじゃないか?閉店した後に壊してしまうなら、ちょっともったいない気がする。
私、大晦日にもボウリングやってたんですけどねぇ。1年に1回か2回くらいしか来てないですねぇ。これではシーサイドボウルの利益に貢献したとは言えないですねぇ。
閉店の理由は、施設の老朽化。52年ですよねぇ。オープンした時を覚えていますもん。私、6歳ですね。
両親、妹、近所の親父の漁師仲間の親子、おふくろの兄弟、いとこたち。何度もグループで「ボウリング行くか?」って感じで日曜日に遊びに行ったものです。考えてみれば現在では・・・そんなことしなくなりましたねぇ。昔はレジャーが少なかったので、ボウリングがブームになったんですねぇ。同時期に県内にボウリング場ができたのもこの頃でしょう。
設備はさすがに当時からは変わってますね。昔の方が高そうな機械でした。
ネットで探したらありました。これと同じやつでしたね。電車のレールのポイント切り替えみたいに、返って来たボウルが左右に振り分けられるやつでした。最近、このタイプ見ないですねぇ。
あとは当時流行ったニコちゃんマーク。あの黄色いスマイリーフェイスですが・・・・あれをちょっとパクったシーサイドボウルオリジナルのニコちゃんマークのキャラがありまして、そのシールが配られてたんですね。もう、いろんなところにそのシールが貼られてましてねぇ。すごい効果でしたね。
私は当時小学1年生くらいだったので・・・・一番軽いボウルも両手じゃないと持てなくて・・・・両手で放り投げてもガーター。そりゃそうよ。あと、投げるタイミングがわからなくて、ガーターの後、一度ピンを持ち上げてる時にもボウルを投げて、ガードにボウルをぶつける・・・・という、お店の人から「その子にはさせんといて」と言われる始末。(笑
当時はスコアは自分で鉛筆で書いてましたね。当然ですけど。初めてなのでみんな計算の仕方わからんし。(笑
2階と3階にレーンがあるんですが、当時はいっぱいで1時間待ちくらいでしたね。今では考えられない。閉店が発表されてからお客さんが増えてますけど、大晦日の日は私以外、お客さんいなかったですよ。
近所のボウリング場としては、西宝町に琴参ボウルがあったけど・・・・そっちは早々に閉店しましたね。パークレーンはいつ閉店したんだろう?市内で残ってるのは大洋ボウルとラウンドワンとアミュージアムが最近LBTボウルになったので3軒ですかね。
貸しシューズ込み2ゲーム1000円でプレイ。15ポンドのマイボウルは投げられなくなって、ハウスボウルの13ポンドを投げるようになりましたが、この日も全然コントロールが定まらなくて・・・・1投目、1番ピンに当たらん。
スコアがストライク3個のスペア2つの5ミスで130と、ストライク1個のスペア4個の6ミスで112。マイボウル投げてた頃はアベレージ150は超えてたと思うのに・・・さっぱりです。ハウスボウルに慣れないとダメですねぇ。13ポンドは15ポンドよりも破壊力が小さいですから、ストライクになる角度の範囲が狭いですね。私はカーブボウルではなくストレートボウル投げますので、スイートスポットが狭いです。
かといってカーブボウルを投げようとしたこともありましたが・・・・安定してコントロールするのはストレートで同じところに投げるよりも難しいです。右投げの場合、カーブボウルで1番ピンと3番ピンの間を右斜から入っていくとストライクが取れやすいです。ストレートで1番ピンの右側、あるいは左側でもストライクにはなりますが、少しズレると最後列の7番と10番が残る確率が高いです。
ストレートボウルをコントロールできれば、1投目でストライクあるいは9本倒し、残り1ピンをスペア取ることができるんですが・・・・10年ぐらい前はできたんですけどねぇ。もうダメですねぇ。腰にくるとまた脊柱狭窄省になりそうで・・・・無理はできません。ボウリングは2ゲームでいいです。
ビリヤードやりましょう。ビリヤードのボール、ん?8番が2個ある?・・・・と思ったら、手書きで「13」って書いてある。(笑 これはいかんやろ?設備老朽化・・・・のひとつかな。
なんか変な感じやなぁ。と思いつつ、ローテーションから。
オープン当時は1階はビリヤードの台がいっぱいあったんですよねぇ。ポケットがない4つ玉の台が2つと、ポケットの台が7つくらいあったような。ボウリング同様、ビリヤードも待ちでしたね。
このビリヤードの台も当時ものですから、もうボロボロで・・・・ラシャ破れとるやん。これはいかんわ。
ビリヤードも20年くらい前に流行りましたねぇ。プールバーがあちこちにできて。今でもいくつかは残ってますねぇ。私、そこまでビリヤードはうまくないんですが・・・・ひとりで遊ぶくらいですね。1時間遊べば十分です。ローテーション1回半とナインボール1回できました。
ゲーセンもねぇ。誰もおらんしねぇ。私もやらんしねぇ。完全にオワコンですね。昔はゲーセンといえばワクワクしたのになぁ。時代は流れましたね。
思い残すことはもうないかなぁ。シーサイドボウルさま、52年間ご苦労様でした。
少し前からこの情報は知っていました。コロナ禍でもかなり営業存続は厳しかったと思いますが、とうとう閉店となるようです。52年前からそこにあるので、特に何も思わなかったですが、改めて52年前の建物だと認識して見てみると、なんと斬新的で個性的な建物か。よくもまぁこんなデザインで作ったなぁと感心します。窓とか丸いし、白、青、水色のストライプ。ボウリングのピンがそびえるような形状。こんな建物、他で見たことないですね。もしかしてグッドデザインじゃないか?閉店した後に壊してしまうなら、ちょっともったいない気がする。
私、大晦日にもボウリングやってたんですけどねぇ。1年に1回か2回くらいしか来てないですねぇ。これではシーサイドボウルの利益に貢献したとは言えないですねぇ。
閉店の理由は、施設の老朽化。52年ですよねぇ。オープンした時を覚えていますもん。私、6歳ですね。
両親、妹、近所の親父の漁師仲間の親子、おふくろの兄弟、いとこたち。何度もグループで「ボウリング行くか?」って感じで日曜日に遊びに行ったものです。考えてみれば現在では・・・そんなことしなくなりましたねぇ。昔はレジャーが少なかったので、ボウリングがブームになったんですねぇ。同時期に県内にボウリング場ができたのもこの頃でしょう。
設備はさすがに当時からは変わってますね。昔の方が高そうな機械でした。
ネットで探したらありました。これと同じやつでしたね。電車のレールのポイント切り替えみたいに、返って来たボウルが左右に振り分けられるやつでした。最近、このタイプ見ないですねぇ。
あとは当時流行ったニコちゃんマーク。あの黄色いスマイリーフェイスですが・・・・あれをちょっとパクったシーサイドボウルオリジナルのニコちゃんマークのキャラがありまして、そのシールが配られてたんですね。もう、いろんなところにそのシールが貼られてましてねぇ。すごい効果でしたね。
私は当時小学1年生くらいだったので・・・・一番軽いボウルも両手じゃないと持てなくて・・・・両手で放り投げてもガーター。そりゃそうよ。あと、投げるタイミングがわからなくて、ガーターの後、一度ピンを持ち上げてる時にもボウルを投げて、ガードにボウルをぶつける・・・・という、お店の人から「その子にはさせんといて」と言われる始末。(笑
当時はスコアは自分で鉛筆で書いてましたね。当然ですけど。初めてなのでみんな計算の仕方わからんし。(笑
2階と3階にレーンがあるんですが、当時はいっぱいで1時間待ちくらいでしたね。今では考えられない。閉店が発表されてからお客さんが増えてますけど、大晦日の日は私以外、お客さんいなかったですよ。
近所のボウリング場としては、西宝町に琴参ボウルがあったけど・・・・そっちは早々に閉店しましたね。パークレーンはいつ閉店したんだろう?市内で残ってるのは大洋ボウルとラウンドワンとアミュージアムが最近LBTボウルになったので3軒ですかね。
貸しシューズ込み2ゲーム1000円でプレイ。15ポンドのマイボウルは投げられなくなって、ハウスボウルの13ポンドを投げるようになりましたが、この日も全然コントロールが定まらなくて・・・・1投目、1番ピンに当たらん。
スコアがストライク3個のスペア2つの5ミスで130と、ストライク1個のスペア4個の6ミスで112。マイボウル投げてた頃はアベレージ150は超えてたと思うのに・・・さっぱりです。ハウスボウルに慣れないとダメですねぇ。13ポンドは15ポンドよりも破壊力が小さいですから、ストライクになる角度の範囲が狭いですね。私はカーブボウルではなくストレートボウル投げますので、スイートスポットが狭いです。
かといってカーブボウルを投げようとしたこともありましたが・・・・安定してコントロールするのはストレートで同じところに投げるよりも難しいです。右投げの場合、カーブボウルで1番ピンと3番ピンの間を右斜から入っていくとストライクが取れやすいです。ストレートで1番ピンの右側、あるいは左側でもストライクにはなりますが、少しズレると最後列の7番と10番が残る確率が高いです。
ストレートボウルをコントロールできれば、1投目でストライクあるいは9本倒し、残り1ピンをスペア取ることができるんですが・・・・10年ぐらい前はできたんですけどねぇ。もうダメですねぇ。腰にくるとまた脊柱狭窄省になりそうで・・・・無理はできません。ボウリングは2ゲームでいいです。
ビリヤードやりましょう。ビリヤードのボール、ん?8番が2個ある?・・・・と思ったら、手書きで「13」って書いてある。(笑 これはいかんやろ?設備老朽化・・・・のひとつかな。
なんか変な感じやなぁ。と思いつつ、ローテーションから。
オープン当時は1階はビリヤードの台がいっぱいあったんですよねぇ。ポケットがない4つ玉の台が2つと、ポケットの台が7つくらいあったような。ボウリング同様、ビリヤードも待ちでしたね。
このビリヤードの台も当時ものですから、もうボロボロで・・・・ラシャ破れとるやん。これはいかんわ。
ビリヤードも20年くらい前に流行りましたねぇ。プールバーがあちこちにできて。今でもいくつかは残ってますねぇ。私、そこまでビリヤードはうまくないんですが・・・・ひとりで遊ぶくらいですね。1時間遊べば十分です。ローテーション1回半とナインボール1回できました。
ゲーセンもねぇ。誰もおらんしねぇ。私もやらんしねぇ。完全にオワコンですね。昔はゲーセンといえばワクワクしたのになぁ。時代は流れましたね。
思い残すことはもうないかなぁ。シーサイドボウルさま、52年間ご苦労様でした。
この記事へのコメント
初めて行ったボーリング場がシーサイドやったです。小学校低学年やった。
点数は36点だったの覚えてます。(笑)
一階のビリヤードは中2の頃行きよったなコトサンボウルはゲームコーナーに行ってました。二十歳前後はパークレーンでしたね。会社の労組のレクレーションのボーリング大会は大洋ボウルで三階貸し切りで午前の部、午後の部、で私午後の部に参戦してました。チーム戦と個人戦両方で表彰台以下になった事なかったです。会社の大会は2ゲームですから調子が出る前に終わる感じ…やっぱり最低3ゲームはねぇ〜…
2ゲームで380超えれば大概優勝取れます。
ハイゲームも210取ればまず取れます。
ついでに小波賞(点数の高い方と低い方の差が小さい人ね)うまく行けば取れます。
逆に大波賞はイヤです。
私もけいつーさんと同じでストレートボールですよ。ただ私のボール途中から右に帰るんです、だから1-3よりも1-2の方がストの確率が高いんです、ボールは13ポンドですが球速でカバーしますから、貰い物のマイボールでしたが穴はストレート用のピッチやったです、会社大会では掃除機2機、食器乾燥機、ビデオデッキ、ツインカセットデッキ、給湯器等など、副賞のシャンプー・リンスの詰め合わせや洗剤の詰め合わせなどは社員や準社員の女子にあげてました。その頃はもう女子にウチのチーム入ってって引っ張りだこでしたが、私同僚でほぼメンバー居ましたから断ってました。
初めて会社のボーリング大会したとき、
私、72点と65点…!女子のハンディのけてもそれ以下でした、あの時ぐらい恥ずかしかったことないです。それからかなー趣味で行き始めたの…。
今やったら… う〜ん100行くかなー(笑
コメントありがとうございます。
そうですよねぇ。会社のボウリング大会って昔は必ずありましたよねぇ。大波、小波賞ありましたねぇ。ブービー賞にブービーメーカー賞(それって単純にビリですけど)もありましたねぇ。観音寺のサムソンの時は、観音寺のボウリング場がつぶれてカトキチの事務所になったので(笑 善通寺のMAXボウルに行ってましたねぇ。あれ、建物は今もあるけど営業はしてなかったような。
なんですかねぇ。私よりも10歳から20歳ぐらい年上の人が妙に上手くてねぇ。ボウリングブームの親の世代の人たちですねぇ。今もプロテクターつけてやってる人たちはあの世代の人が残ってたりしますね。(笑
松本にいた時は、町内会で毎年ボウリング大会がありましてねぇ。あ、ソフトボール大会もあった。地域のつながりが強いところだなぁって思いました。
初めまして。コメントありがとうございます。
そうですか。10年ぐらい前に行ってた頃から8番が2個でしたか。(笑
カギ裂きはいかんですよねぇ。それも10年放置だったってことですね。
楽しんでいただけたようで何よりです。あと1週間ほどで無くなってしまうので、ブログに残しておかないとと思い、アップしました。
ほんとですねぇ。最後に何か感謝セールのようなものがあってもよさそうですが・・・・あ、ボウリンググッズが処分価格になってました。ボウリングのピンとか、ボウリングシューズはもうなかったなぁ。
おぉ、40年前に神奈川にいらっしゃったんですね。私が千葉にいた頃です。
もちろんカツカレーは香川の郷土料理ではないです。(笑
諸説ありますが、発祥は関東です。一応、日本カツカレー協会会長を継いでおる身です。
たしか当時、学食でカツカレーありましたね。まだそんなにメジャーなメニューでもなかったとは思いますが、カレー、トンカツ、カツ丼にカレーラーメンがあるのにカツカレーを知らないというのはおかしいですね。(笑 よっぽどカレーラーメンの方がマイナーです。店主さん、作りたくなくてとぼけてるのか、ほんとに知らなかったか・・・いやいや、カツカレーすぐできるじゃん?(笑
ということはギランバレーさんも私と同年代・・・ということですかねぇ。
気に留まったのは、食堂めぐりの回で、食堂の竹田君は中学の時の同級生なんです。読むまで近況を知らなかった。同じクラスだったが、ほとんど話した事はないけど、他に兄弟がいた感じでもなかったし。竹田君は秀才で、勉強を真面目にするから成績もいい。こっちは勉強しないから当然成績は悪い。悪い事はしなかったですけどね。
ええっ?タケダの息子さんと同級生?で1学年下?ということは紫雲中ですね。
私も店主さんとお客さんの話から息子さんが亡くなった・・・と思ったのですが、やはりそうだったんでしょうか。
学級委員で生徒会長・・・・それはデキる人だったんですねぇ。
タケダ食堂は健在ですので、行ってみてください。
田町の「田舎」は行ってみようと思ってる店です。
弟さん?が居たのは私は知りませんでした
1年前位にタケダに行ったとき、店のオヤジさんに、二番丁小行ってた女の子オヤジさんの娘さん?って聞こうと思ってましたが他にお客が満席で忙しそうにしてたので聞けませんでした、次行ったら聞いてみます。
コメントありがとうございます。
かつせんは行ったことないんですよねぇ。行きたかった。
小学生の娘がお茶を出す食堂ってのもまたいいですねぇ。最近そういう店はないですねぇ。アットホームな感じがいいです。
「老舗ボウリング場 営業最終日 多くの客がプレー楽しむ 高松」
https://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/20240628/8030018719.html
最終日、私は行ってませんけどね。この前のでお腹いっぱいです。
多くの客が来たって・・・普段から来ていれば存続できたのに、できなかったってことですね。高松の人は新しくできた時となくなる時にいっぱい来ます。
高松オルネも最初は人が押し寄せましたが、今はふつうです。
そういえば、私が行った時も毎回右のレーンは常連さんが数名いましたねぇ。どこのボウリング場にもいるボウリング愛好家でしょうねぇ。