【遍路みち 八十八】vol.10 「第八十四番 屋島寺」高松市 屋島東町
遍路ネタです。八十四番 屋島寺。八栗さんの次に親しまれているのは、ここ屋島でしょう。何度か初日の出を見に来ましたね。そして今では宇多津町に四国水族館がありますが、昔は屋島山上水族館しかありませんでした。今でも新屋島水族館として存続しています。
境内は山の上ですが、それなりに広く、また整備されておりきれいです。標高293mの火山台地の南嶺にあるお寺です。
これが本堂。かなり古いものです。屋島寺の開創は鑑真和上。朝廷の招請により来日された唐の大師です。12年間に5回渡航を試みるも失敗。6回目にしてようやく鹿児島に漂着。東大寺に向かう途中で、屋島の沖で山頂から立ち上る瑞光が見え、屋島の北嶺に登り普賢堂を建てて普賢菩薩を安置したのが始まりだそうです。なんともまたすごい話です。
その後、815年に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により屋島寺を訪問。現在の南嶺に屋島寺を移し、十一面千手観音像を彫造し本尊としたとあります。
反対側に抜けると、また山門がありますが、ケーブルカーで登ってた頃はこっちから来たんじゃなかったかなぁ。屋島のケーブルカーは2005年に廃止となっており、無料開放された屋島ドライブウェイでクルマで行くのが一般的な移動手段となりました。
ケーブルカーの山上駅が廃墟となって残ってるようなので、行けばよかったですねぇ。登山口駅と合わせて廃墟シリーズで再訪しましょう。
さて、屋島といえば、屋島寺以外にもうひとつ行きたかった場所があります。屋嶋城です。「やしまじょう」・・・ではなく、「やしまのき」と読みます。663年ですよ・・・・いつの時代?飛鳥時代です。朝鮮半島では高句麗、新羅、百済が争っており、中国は唐の時代。唐は朝鮮半島に対して遠征を長年に渡り行っており、高句麗を攻める前に百済を攻撃。百済は一旦滅亡しますが、百済王の太子や残党は日本に逃げており、百済復興を目指します。白村江の戦いは、当時交流のあった唐と百済の二国間の選択を迫られ、倭国は友好関係のあった百済復興側につく。
その時に高句麗遠征を行なっていたのが・・・・なんと、武則天。おぉ、こんなところで出てくるか?って感じですね。これだから歴史はおもしろい。つながりますね。この頃の倭の国、日本を治めていたのは大化の改新の中大兄皇子こと天智天皇です。
この時代に、朝鮮半島へ第一派、1万人余、船艇170隻。第二波、2万7千人、第三波、1万人余の合計4万7千人が出兵したって・・・すごいことです。が、負けてしまうんですねぇ。それほど唐の勢力は強かったってことでしょう。これ、たぶん歴史の授業で習ってます。白村江の戦い・・・百済の役です。唐と新羅の連合軍で高句麗を滅ぼし、朝鮮半島は新羅が統一。新羅は唐の柵封国となります。
そして、この戦いにより次に攻め込まれるのは日本・・・となり、緊張感が生まれ、防衛網の構築に取り掛かります。唐と新羅から朝廷のある奈良を守る防衛ライン・・・対馬と屋島と奈良に城が築かれました。それが屋嶋城です。
それが平成10年に発掘されてたんですねぇ。ブラタモリでも紹介されてましたね。公開されているものは復元されたものですが、当時の様子がよくわかります。
こんなものを1400年前に作っていたとは・・・・すごいことです。ただ、これ・・・海側じゃないですね。
屋島は今は陸地とつながってますが、もともとは島だった。上から見るとこんなカタチをしています。なるほど、海を見下ろすような城にするには格好の地形です。この屋島の山上が城だったようです。
展望台の方へ向かう途中に参道があって・・・お店が何軒かああります。むかしはここを通ってましたね。なつかしい。現在の駐車場からは屋島寺の裏側になるので・・・・来ないんじゃないかなぁ。
れいがん茶屋。もうこの辺は変わってますね。
ここに来ると、瓦投げでしょう。子供の頃、よくやりましたね。5枚で200円。
輪っかの中に入るように投げるんですが・・・・これって手裏剣のように投げるので、コツがいりますね。私はハートの輪っかを狙いましたが・・・残念ながら全然ダメでした。(笑
これが最近できた「やしまーる」。交流拠点施設・・・・ってなんですかねぇ。なんかおもしろくなさそうな感じでした。
そして展望台側にも「屋島城跡」の看板。でも何もありません。こちら側が迎え撃つ方なので、立派な城壁があったと思うのですが・・・この下にあるんですかねぇ。
そして新屋島山上水族館。入場料は1,500円。また時間に余裕がある時に来ましょう。安倍元総理と岸さんの名前があります。何か屋島と政治的関係があるのでしょうか。
帰りは・・・屋島ミステリーゾーン。これ、たぶん登る時の方が感じると思います。上り坂の角度が途中、緩やかになるところがあって、視覚的には下り坂に見えるんですが、実は緩い上り坂で、ボールを置くと向こう側へ行くと思ったら手前に来るという・・・・場所です。
ちょうどいい転がるものがなかったので確認できませんでした。あぁ、あと源平合戦の話も屋島にはあるんですが・・・・山口県の壇ノ浦で三種の神器とともに入水した安徳天皇・・・の話につながる。そして源平合戦は、地元の糸より姫さまの話にもつながるという・・・・詳細はまた別の機会で。
ほんと地元、香川はおもしろいですね。八十八ヶ所の旅は歴史を知る上でも興味深いです。
境内は山の上ですが、それなりに広く、また整備されておりきれいです。標高293mの火山台地の南嶺にあるお寺です。
これが本堂。かなり古いものです。屋島寺の開創は鑑真和上。朝廷の招請により来日された唐の大師です。12年間に5回渡航を試みるも失敗。6回目にしてようやく鹿児島に漂着。東大寺に向かう途中で、屋島の沖で山頂から立ち上る瑞光が見え、屋島の北嶺に登り普賢堂を建てて普賢菩薩を安置したのが始まりだそうです。なんともまたすごい話です。
その後、815年に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により屋島寺を訪問。現在の南嶺に屋島寺を移し、十一面千手観音像を彫造し本尊としたとあります。
反対側に抜けると、また山門がありますが、ケーブルカーで登ってた頃はこっちから来たんじゃなかったかなぁ。屋島のケーブルカーは2005年に廃止となっており、無料開放された屋島ドライブウェイでクルマで行くのが一般的な移動手段となりました。
ケーブルカーの山上駅が廃墟となって残ってるようなので、行けばよかったですねぇ。登山口駅と合わせて廃墟シリーズで再訪しましょう。
さて、屋島といえば、屋島寺以外にもうひとつ行きたかった場所があります。屋嶋城です。「やしまじょう」・・・ではなく、「やしまのき」と読みます。663年ですよ・・・・いつの時代?飛鳥時代です。朝鮮半島では高句麗、新羅、百済が争っており、中国は唐の時代。唐は朝鮮半島に対して遠征を長年に渡り行っており、高句麗を攻める前に百済を攻撃。百済は一旦滅亡しますが、百済王の太子や残党は日本に逃げており、百済復興を目指します。白村江の戦いは、当時交流のあった唐と百済の二国間の選択を迫られ、倭国は友好関係のあった百済復興側につく。
その時に高句麗遠征を行なっていたのが・・・・なんと、武則天。おぉ、こんなところで出てくるか?って感じですね。これだから歴史はおもしろい。つながりますね。この頃の倭の国、日本を治めていたのは大化の改新の中大兄皇子こと天智天皇です。
この時代に、朝鮮半島へ第一派、1万人余、船艇170隻。第二波、2万7千人、第三波、1万人余の合計4万7千人が出兵したって・・・すごいことです。が、負けてしまうんですねぇ。それほど唐の勢力は強かったってことでしょう。これ、たぶん歴史の授業で習ってます。白村江の戦い・・・百済の役です。唐と新羅の連合軍で高句麗を滅ぼし、朝鮮半島は新羅が統一。新羅は唐の柵封国となります。
そして、この戦いにより次に攻め込まれるのは日本・・・となり、緊張感が生まれ、防衛網の構築に取り掛かります。唐と新羅から朝廷のある奈良を守る防衛ライン・・・対馬と屋島と奈良に城が築かれました。それが屋嶋城です。
それが平成10年に発掘されてたんですねぇ。ブラタモリでも紹介されてましたね。公開されているものは復元されたものですが、当時の様子がよくわかります。
こんなものを1400年前に作っていたとは・・・・すごいことです。ただ、これ・・・海側じゃないですね。
屋島は今は陸地とつながってますが、もともとは島だった。上から見るとこんなカタチをしています。なるほど、海を見下ろすような城にするには格好の地形です。この屋島の山上が城だったようです。
展望台の方へ向かう途中に参道があって・・・お店が何軒かああります。むかしはここを通ってましたね。なつかしい。現在の駐車場からは屋島寺の裏側になるので・・・・来ないんじゃないかなぁ。
れいがん茶屋。もうこの辺は変わってますね。
ここに来ると、瓦投げでしょう。子供の頃、よくやりましたね。5枚で200円。
輪っかの中に入るように投げるんですが・・・・これって手裏剣のように投げるので、コツがいりますね。私はハートの輪っかを狙いましたが・・・残念ながら全然ダメでした。(笑
これが最近できた「やしまーる」。交流拠点施設・・・・ってなんですかねぇ。なんかおもしろくなさそうな感じでした。
そして展望台側にも「屋島城跡」の看板。でも何もありません。こちら側が迎え撃つ方なので、立派な城壁があったと思うのですが・・・この下にあるんですかねぇ。
そして新屋島山上水族館。入場料は1,500円。また時間に余裕がある時に来ましょう。安倍元総理と岸さんの名前があります。何か屋島と政治的関係があるのでしょうか。
帰りは・・・屋島ミステリーゾーン。これ、たぶん登る時の方が感じると思います。上り坂の角度が途中、緩やかになるところがあって、視覚的には下り坂に見えるんですが、実は緩い上り坂で、ボールを置くと向こう側へ行くと思ったら手前に来るという・・・・場所です。
ちょうどいい転がるものがなかったので確認できませんでした。あぁ、あと源平合戦の話も屋島にはあるんですが・・・・山口県の壇ノ浦で三種の神器とともに入水した安徳天皇・・・の話につながる。そして源平合戦は、地元の糸より姫さまの話にもつながるという・・・・詳細はまた別の機会で。
ほんと地元、香川はおもしろいですね。八十八ヶ所の旅は歴史を知る上でも興味深いです。
この記事へのコメント
確か かわらげ って言よったか?
10枚ぐらい細い縄見たいなんで縛って売っりょった記憶が…なんぼやったかいの…?
中1の時横の方に降りる道があって、下行って割れてないやつ集めて、上から見ると岩の出っ張りがあるんやがその岩の根元に50枚位隠しとったんやが…次行ったとき見たら 無い! あれ絶対店の人割れてないやつ集めて再販で使い廻しやろ。
まぁ〜普通はするやろな… 笑
あまりの斜面に何度か落ちそうになりました。友人が崖みたいな所から2〜3メートル落ちた時は心臓が止まりそうになりましたが泥が腐葉土みたいな感じで柔らかくて身体はどうもなかったが土の斜面を20メートル位転がった言うてました…。
まぁー元気な盛りです (笑)
よく上から降ってくる瓦に当たらなかったなと思います。友人が真横に着弾と同時に上に向かって投げ返すという暴挙に出て、皆で止めたのを覚えてます。後先考えよ!
中1の秋ごろです。www
中1の頃は、お金がかからずに楽しめることをいろいろ考えましたよねぇ。
たしかにあそこの下に投げたかわらがいっぱいあるはず。今回初めて見ましたが「土にかえる環境にやさしいもの」みたいなことを書いてました。まぁたしかに土から作ってますからね。
私は「かわらけ」って言ってたような記憶があります。