【遍路みち 八十八】vol.7 「第八十七番 長尾寺」さぬき市長尾

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遍路みちシリーズ。うるう年の逆打ち、1日めのふたつめ。

おふくろとトムを連れて、大窪寺の次、八十七番札所の長尾寺。山門の写真を撮ろうと撮影ポジションを決めていたら、おふくろは何を勘違いしたか、自分の写真を撮ってくれるのだと思って、山門の中央でポーズをとって・・・・(笑 まぁ、せっかくなので撮ってあげました。改めてポーズして撮るんだったらマスク外した方がよかったねぇ・・・・

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駐車場からいきなり広々とした境内が見渡せる・・・壁があったんだと思いますが・・・なくなったんでしょうねぇ。なので山門から入らずに脇から入って、中から山門に出て写真を撮りました。

本堂の前には大窪寺にいたお遍路さんのグループが読経をしてます。お遍路あるある。たぶん、この次の志度寺でも遭遇するでしょう。他にも何組かの人も同じ行動をしてます。

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今回の私のお遍路ルールとしては、前回も書きましたが般若心経の読経、写経はしないので、納経帳の御朱印はもらわない。(般若心経については別途、深い考察がありますのでそちらで詳しく)お御影を記念に買う。本堂と太子堂でお参りをする。弘法大師に尊敬の念をこめる。

神様仏様は迷信なので信じない。仏様・・・お釈迦様は紀元前5世紀頃の実在の人物、ゴーダマ・シッダルダなのでそこは弘法大師同様、尊敬の念をこめてお参りする。ただ、偶像崇拝はどうよ?その仏像とかも普通の人が作った作品で魂はないじゃん?って感じです。そういう意味では偶像崇拝禁止のイスラムやキリスト教プロテスタント、ユダヤ教の方がスジが通っていると思います。

仏教も元々は精神的なもので偶像崇拝は禁止していたと言います。それが偶像崇拝するようになったのは、キリスト教とか他の宗教も同じで、一般人にわかりやすいから仏像やマリア様やキリストの像・・・神社は御神体ですか・・・を作って拝むようになったんでしょうね。

納付札・・・住所、氏名を書いて、お遍路さんの名刺代わりのようなものです・・・は本堂と太子堂にお参りした証として納付する。納付札の「願意」は、迷信に対しての願い事はないので「明鏡止水」と書く。

一点の迷いもない鏡のような水面の心をイメージして煩悩を捨て去り、落ち着いた心で常に過ごす・・・・を意味します。本堂、太子堂で手を合わせる時は、この「明鏡止水」の心で5秒合掌します。これで私のスーパーモードが発動すれば大願成就です。そう、機動武闘伝Gガンダムのドモン・カッシュからきています。私らしいでしょう。(笑 それもまんざら真言密教とズレてはないと思ってます。

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八十八ヶ所の寺にはそれぞれ祀られてっる御本尊と真言があり、読経の際にはその真言を詠むそうです。さらにお寺の御詠歌もそれぞれあるという。文化的ですねぇ。

ちなみに長尾寺の御本尊は、聖観音菩薩。真言は「おん あろりきゃ そわか」・・・・これ、ひらがなで表記してますが、サンスクリット語ですね。

境内には大きなクスノキがあります。さすがに弘法大師お手植えではないですが・・・・長尾寺は、弘法大師のさらに100年ほど前に香川県でも知られている行基が739年に開いたお寺です。時代的には行基と弘法大師は重なってないですが、弘法大師が唐へ行く前と後に訪れています。

そのまたのちの平安時代に讃岐国司だった菅原道真と親交の深かった僧がいた関係で、長尾天神宮も境内のすみにあります。

あとは・・・・静御前(源頼朝の妹です)が出家した際に剃った髪の毛が収められてる剃髪塚があります。源平合戦で兄の頼朝と対立した源義経・・・・牛若丸ですねぇ・・・との仲を認められず、「生まれた子が男なら殺せ」と命じられて男児は海に沈められたんですねぇ。源氏と平氏の戦いは、屋島の戦いもあり・・・糸より姫様もおり・・・山口の壇ノ浦へ逃げる途中ですから香川県にも歴史が残ってますねぇ。

遍路みちは、そういう歴史にも触れられて意外に面白いですね。

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