【遍路みち 八十八】vol.2 「第四十五番 岩屋寺」愛媛県 久万高原町
遍路みちシリーズ。前回の大寶寺からそんなに遠くない場所に岩屋寺はあります。しかし・・・・こんな場所。お寺はどこに?
山の上にあるんですか?こんな坂道を登っていきます。結構な斜度で・・・・自転車で登ってる人が前にいますが、絶対行けないと思います。その先は石段ですから。(笑
少し登ったところに・・・・山門がありまして。「水曜どうでしょう」はここで録ってますね。本堂はまだまだ上です。
石段になりましたが、結構急です。これは足腰が丈夫じゃないと参拝できないですね。
まだまだ続く・・・・予想外に遠いです。
やっと到着。本堂です。結局、入口から30分かかりました。それってこんぴらさん並みじゃん?
本堂の横にははしごが・・・・この上の巌窟に登れるようです。さすがにそんな体力はもう残ってないもんね。この巌窟が「岩屋」と呼ばれる修行の場で、お寺の名前にもなっています。
鐘は参拝の前に一度突くそうです。諸行無常の響きあり。この世の全ては変化していくものである・・・・コロナあり、ロシアウクライナ戦争あり、誰がこんな世の中を想像したでしょうか・・・・いや、雨降って地固まる。変化を乗り越えてこそ成長があるのです。
唐突ではありますが、こうしてお寺を回ってはいますが、私は死後の世界はないと思っている人間です。ホーキング博士が言ってるように「脳は部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターである。壊れたコンピューターにとって天国も死の世界もない。それらは闇を恐れる人の御伽話である。」
まさにその通り。実はみんなうすうす感じているのではないか。死んだ後に魂は永遠に残る・・・・それは実は無いんです。それが無いと言ってしまうと宗教が成り立たないので、死後の極楽や地獄があることになっているのでしょう。私は宗教は否定しないし、それを信じる人も否定はしません。信じるのも信じないのも自由です。5年前に妹が亡くなる時、意識がなくなり下顎呼吸になり半日が過ぎ、まぶたも半開きで閉じなくなりました。そして私が見ている前で呼吸が止まった時、人はこうして亡くなるのかというのを実感しました。妹は問いかけにも反応はしなかったですが、意識はあったんじゃないかと思います。でも電源が切れるように動かなくなった・・・・・これが「死」なんだなと。いつか自分もおふくろもそうなる・・・・この不安を和らげるのがきっと宗教なんだろうなぁ。
密教を伝えた弘法大師は尊敬しています。だからこうしてお寺も訪ね、参拝もしていきます。
死と向き合い、どう生きるべきかを考えるためにお寺を回るスタンスでいきます。読経しているお遍路さんもいます。私の考えからすると読経は矛盾してしまうのでできないです。その考えもお寺を回っていくうちに変化していくかもしれません。そういう旅にしましょう。還暦近くなるとこんなことを考えるようになるんですねぇ。
ツツジがきれいに咲いてましてねぇ。花は雨に濡れるといきいきしてますねぇ。
お参りも済ませ、降りていきますよ。下りが意外に危ないですね。ヒザにきてます。お地蔵様にひとつずつお餅がお供えされてます。誰がお供えしたんでしょうねぇ。
下まで降りて来ましたよ。実は入口にお店があったんですね。
ひとくち羊羹でエネルギー補給。
生姜湯をいただきました。一瞬、あめ湯のようなものを想像したのですが・・・これがまた・・・・生姜の味しかしない、なんとも質素なもので・・・・ありがたいことです。
近くに白い藤が咲いてました。我が家の家紋、下がり藤と縁がありますね。というような遍路みちでした。
次は・・・・一番札所の霊山寺に行きますかねぇ。行ったことないですからねぇ。
山の上にあるんですか?こんな坂道を登っていきます。結構な斜度で・・・・自転車で登ってる人が前にいますが、絶対行けないと思います。その先は石段ですから。(笑
少し登ったところに・・・・山門がありまして。「水曜どうでしょう」はここで録ってますね。本堂はまだまだ上です。
石段になりましたが、結構急です。これは足腰が丈夫じゃないと参拝できないですね。
まだまだ続く・・・・予想外に遠いです。
やっと到着。本堂です。結局、入口から30分かかりました。それってこんぴらさん並みじゃん?
本堂の横にははしごが・・・・この上の巌窟に登れるようです。さすがにそんな体力はもう残ってないもんね。この巌窟が「岩屋」と呼ばれる修行の場で、お寺の名前にもなっています。
鐘は参拝の前に一度突くそうです。諸行無常の響きあり。この世の全ては変化していくものである・・・・コロナあり、ロシアウクライナ戦争あり、誰がこんな世の中を想像したでしょうか・・・・いや、雨降って地固まる。変化を乗り越えてこそ成長があるのです。
唐突ではありますが、こうしてお寺を回ってはいますが、私は死後の世界はないと思っている人間です。ホーキング博士が言ってるように「脳は部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターである。壊れたコンピューターにとって天国も死の世界もない。それらは闇を恐れる人の御伽話である。」
まさにその通り。実はみんなうすうす感じているのではないか。死んだ後に魂は永遠に残る・・・・それは実は無いんです。それが無いと言ってしまうと宗教が成り立たないので、死後の極楽や地獄があることになっているのでしょう。私は宗教は否定しないし、それを信じる人も否定はしません。信じるのも信じないのも自由です。5年前に妹が亡くなる時、意識がなくなり下顎呼吸になり半日が過ぎ、まぶたも半開きで閉じなくなりました。そして私が見ている前で呼吸が止まった時、人はこうして亡くなるのかというのを実感しました。妹は問いかけにも反応はしなかったですが、意識はあったんじゃないかと思います。でも電源が切れるように動かなくなった・・・・・これが「死」なんだなと。いつか自分もおふくろもそうなる・・・・この不安を和らげるのがきっと宗教なんだろうなぁ。
密教を伝えた弘法大師は尊敬しています。だからこうしてお寺も訪ね、参拝もしていきます。
死と向き合い、どう生きるべきかを考えるためにお寺を回るスタンスでいきます。読経しているお遍路さんもいます。私の考えからすると読経は矛盾してしまうのでできないです。その考えもお寺を回っていくうちに変化していくかもしれません。そういう旅にしましょう。還暦近くなるとこんなことを考えるようになるんですねぇ。
ツツジがきれいに咲いてましてねぇ。花は雨に濡れるといきいきしてますねぇ。
お参りも済ませ、降りていきますよ。下りが意外に危ないですね。ヒザにきてます。お地蔵様にひとつずつお餅がお供えされてます。誰がお供えしたんでしょうねぇ。
下まで降りて来ましたよ。実は入口にお店があったんですね。
ひとくち羊羹でエネルギー補給。
生姜湯をいただきました。一瞬、あめ湯のようなものを想像したのですが・・・これがまた・・・・生姜の味しかしない、なんとも質素なもので・・・・ありがたいことです。
近くに白い藤が咲いてました。我が家の家紋、下がり藤と縁がありますね。というような遍路みちでした。
次は・・・・一番札所の霊山寺に行きますかねぇ。行ったことないですからねぇ。
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