【ぶらぶら美術館めぐり】vol.10 高松市 玉藻町 「香川県立ミュージアム」空海 史上最強
美術館ネタです。・・・・香川県立ミュージアム。地元ながら存在をまったく知りませんでした。県民ホールのすぐ横にあったんですね。2008年にできたそうですから、今から15年前ですか。
4月22日から5月21日までの間、弘法大師空海 御生誕1250年記念特別展として「空海 史上最強 讃岐に舞い降りた不滅の巨人」展が開かれました。これは行かねばなりません。国宝10件、重要文化財15件を含む全60件の展示です。
県立ミュージアム。結構大きい施設ですね。空海展、大勢の人が観に来ていました。
当然ですが、写真撮影はできません。参考までにリーフレットから。お大師様、1250年前の方です。奈良時代から平安時代。
西暦774年、善通寺市に生まれ、14歳の時に平城京へ移り、父が官僚にするために大学寮に入学させ、さまざまな文学や儒学について学んだそうです。その時代にそのようなことができるというのは超エリートの家ですね。しかし19歳で山林の修行に入り仏門の世界に入ることを父親の佐伯田公が知り、憤慨したそうです。そりゃ官僚にしようと思ってたのにお坊さんになるって言えば・・・・怒るでしょうねぇ。
それで、四国で修行をして回ったのが八十八ヶ所につながるわけです。その後、お大師様は大日経に出会い、さらに深く知るためには中国へ渡るしかないと804年30歳の時に遣唐使として中国に渡ります。18次遣唐使・・・・そんなに通ってたんですね。7月6日に長崎の五島列島から唐へ向かうのですが、4隻の船のうち2隻が遭難。別の船の天台宗の最澄は寧波(にんぼう)に着いてます。弘法大師は804年8月10日にさらに南の福州に漂着します。アモイの北側あたりですね。
アモイ 日月谷温泉ここの近く。13年前だからカミさんと別れる前。明確に書いてないですけど、これ写真のお姉ちゃん・・・・女子大生の莫然(むーらん)といっしょに遊びに行った時です。(笑)なつかしい。この温泉、今もあるんだなぁ。また行きたいなぁ。
日月谷温泉
話が脱線しました。(笑)中国のことになるとついつい、いろんな思い出が。そして弘法大師の一行は、海賊の疑いをかけられ50日間待機させられますが、お大師様の福州長官への嘆願により遣唐使として認められ、11月3日に長安入りが許されます。
そして唐といえば・・・・范冰冰(ふぁんびんびん)の「武則天」が思い浮かびますが、中国史上唯一の女帝、武則天が皇位に就いたのは690年なので、弘法大師が行ったのはその100年以上後の唐ですね。
12月23日に長安入り。この日付を追うだけでも苦労が目に浮かびます。半年かかってますね。飛行機や新幹線があればすぐですが、福州から長安・・・歩いて行ったのでしょう。
805年5月に青龍寺の恵果の元へ訪れ、半年間和尚に仕えます。弘法大師は大日経の密教を学ぶことに執着し、恵果和尚は1000人もの弟子を抱える偉大な和尚ですが、弘法大師の優秀さを悟り、密教奥義を伝授。遍照金剛の灌頂名を与えます。その後、恵果和尚は12月に入寂してしまうので、本当に密教を受け継いだ形となります。3月に長安を出発し、1年足らずの滞在でした。それから越州(浙江省紹興市)に4ヶ月滞在。ここでは土木、薬学等多分野について中国の進んだ技術を習得します。これが後に香川県の治水工事、満濃池に結びつくわけです。すごいことですね。さぬきうどんのルーツとなる饂飩の情報もここで学んだのでしょうね。
2年間の中国滞在で弘法大師は日本へ帰国し、真言密教を確立するわけです。今回の展示で感動したのは、1200年前に弘法大師が書いたものが数多くあったことです。達筆ということはよく知られていますが、本当に綺麗な字です。特筆すべきは遣唐使時代に残した小さなノート。これに5mmくらいの字がびっしり書き込まれています。小さいのに明確に読める綺麗な字。性格が表れてますね。これ当然ですが筆で書いてますよね。このノートが後に日本に多くの文化を伝えることになります。国宝に指定されています。これは必見。
それ以外に、弘法大師は日本書紀も書いていました。びっくりですね。展示物は弘法大師が恵果和尚から賜った白檀の仏像や曼荼羅、仏像・・・・それから後の時代である鎌倉、室町、江戸と数百年経った後の時代でも弘法大師のブームのようにいろんなものが作られ、残されています。
本当に偉大な人物だったのですねぇ。紛れもなく香川県で一番の偉人です。今回の展示の見学でより深く身近に弘法大師を知ることができました。この感動を胸に今後、八十八ヶ所のお寺を訪問したいと思います。南無大師遍照金剛・・・・。
「香川県立ミュージアム」
住所:香川県高松市玉藻町5-5
電話:087-822-0002
開館時間:9:00〜5:00
休館日:月曜日
入場料:一般1200円
4月22日から5月21日までの間、弘法大師空海 御生誕1250年記念特別展として「空海 史上最強 讃岐に舞い降りた不滅の巨人」展が開かれました。これは行かねばなりません。国宝10件、重要文化財15件を含む全60件の展示です。
県立ミュージアム。結構大きい施設ですね。空海展、大勢の人が観に来ていました。
当然ですが、写真撮影はできません。参考までにリーフレットから。お大師様、1250年前の方です。奈良時代から平安時代。
西暦774年、善通寺市に生まれ、14歳の時に平城京へ移り、父が官僚にするために大学寮に入学させ、さまざまな文学や儒学について学んだそうです。その時代にそのようなことができるというのは超エリートの家ですね。しかし19歳で山林の修行に入り仏門の世界に入ることを父親の佐伯田公が知り、憤慨したそうです。そりゃ官僚にしようと思ってたのにお坊さんになるって言えば・・・・怒るでしょうねぇ。
それで、四国で修行をして回ったのが八十八ヶ所につながるわけです。その後、お大師様は大日経に出会い、さらに深く知るためには中国へ渡るしかないと804年30歳の時に遣唐使として中国に渡ります。18次遣唐使・・・・そんなに通ってたんですね。7月6日に長崎の五島列島から唐へ向かうのですが、4隻の船のうち2隻が遭難。別の船の天台宗の最澄は寧波(にんぼう)に着いてます。弘法大師は804年8月10日にさらに南の福州に漂着します。アモイの北側あたりですね。
アモイ 日月谷温泉ここの近く。13年前だからカミさんと別れる前。明確に書いてないですけど、これ写真のお姉ちゃん・・・・女子大生の莫然(むーらん)といっしょに遊びに行った時です。(笑)なつかしい。この温泉、今もあるんだなぁ。また行きたいなぁ。
日月谷温泉
話が脱線しました。(笑)中国のことになるとついつい、いろんな思い出が。そして弘法大師の一行は、海賊の疑いをかけられ50日間待機させられますが、お大師様の福州長官への嘆願により遣唐使として認められ、11月3日に長安入りが許されます。
そして唐といえば・・・・范冰冰(ふぁんびんびん)の「武則天」が思い浮かびますが、中国史上唯一の女帝、武則天が皇位に就いたのは690年なので、弘法大師が行ったのはその100年以上後の唐ですね。
12月23日に長安入り。この日付を追うだけでも苦労が目に浮かびます。半年かかってますね。飛行機や新幹線があればすぐですが、福州から長安・・・歩いて行ったのでしょう。
805年5月に青龍寺の恵果の元へ訪れ、半年間和尚に仕えます。弘法大師は大日経の密教を学ぶことに執着し、恵果和尚は1000人もの弟子を抱える偉大な和尚ですが、弘法大師の優秀さを悟り、密教奥義を伝授。遍照金剛の灌頂名を与えます。その後、恵果和尚は12月に入寂してしまうので、本当に密教を受け継いだ形となります。3月に長安を出発し、1年足らずの滞在でした。それから越州(浙江省紹興市)に4ヶ月滞在。ここでは土木、薬学等多分野について中国の進んだ技術を習得します。これが後に香川県の治水工事、満濃池に結びつくわけです。すごいことですね。さぬきうどんのルーツとなる饂飩の情報もここで学んだのでしょうね。
2年間の中国滞在で弘法大師は日本へ帰国し、真言密教を確立するわけです。今回の展示で感動したのは、1200年前に弘法大師が書いたものが数多くあったことです。達筆ということはよく知られていますが、本当に綺麗な字です。特筆すべきは遣唐使時代に残した小さなノート。これに5mmくらいの字がびっしり書き込まれています。小さいのに明確に読める綺麗な字。性格が表れてますね。これ当然ですが筆で書いてますよね。このノートが後に日本に多くの文化を伝えることになります。国宝に指定されています。これは必見。
それ以外に、弘法大師は日本書紀も書いていました。びっくりですね。展示物は弘法大師が恵果和尚から賜った白檀の仏像や曼荼羅、仏像・・・・それから後の時代である鎌倉、室町、江戸と数百年経った後の時代でも弘法大師のブームのようにいろんなものが作られ、残されています。
本当に偉大な人物だったのですねぇ。紛れもなく香川県で一番の偉人です。今回の展示の見学でより深く身近に弘法大師を知ることができました。この感動を胸に今後、八十八ヶ所のお寺を訪問したいと思います。南無大師遍照金剛・・・・。
「香川県立ミュージアム」
住所:香川県高松市玉藻町5-5
電話:087-822-0002
開館時間:9:00〜5:00
休館日:月曜日
入場料:一般1200円
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