続・香川あっちこっち vol.57 瀬戸内国際芸術祭2022 秋会期 高松「男木島」
男木島ネタの最終回。・・・・男木島の観光スポットです。
私が男木島で一番見たかったのは・・・・瀬戸芸の作品ではなく「男木島灯台」です。男木島灯台を見ずに男木島を後にすることはできません。島の中心部、男木島港から北の端の灯台までは・・・・徒歩です。島内の住民は原付や自転車を使用することは許されていますが、島外の訪問客に自転車の使用は許可されていません。
たぶん昔、大勢の観光客が他の島のようにレンタサイクルで走り回って、問題が起きたのかなぁ。男木島は道が細く迷路のようになっていて、しかも坂道だらけ。大量の自転車が走るのは危険ですね。徒歩で回るのが島の雰囲気を感じるのには最適です。
灯台まで歩いて片道30分。散歩すると思えばそんなに遠い距離ではありません。何気ない景色が本土にはない島独特の景色であることにすぐ気づくはずです。
それを楽しみながら歩けば・・・・こんな路地もまたおもしろい。
島のすぐ沖を大きな輸送船が通り過ぎていく。島ならではの構図です。
民家がなくなると、ちょっとした山のハイキングコースのよう。手付かずの自然がいっぱいと言えば聞こえはいいですが、未開発な島北部ですね。平坦な土地がないですから、農地にするにも住宅地にするにも難しいです。そのおかげで緑がいっぱい。
砂浜の向こうに灯台が見えてきました。ほんとに砂浜と灯台以外、何もないです。だからここへ来る人もそんなに多くない。外国人の家族連れが私といっしょに訪れて、写真をいろいろ撮ってました。
これがその男木島灯台。ドラマと映画「喜びも悲しみも幾年月」で登場した灯台として全国的に知名度のある灯台です。私もこのドラマは覚えてますよ。「俺ら岬の灯台守は〜」という主題歌を子供の頃に歌ってました。たぶん72年か76年のリメイク版。
日本全国の灯台を転々とする灯台守夫婦のドラマだったようです。子供だったのでドラマの内容はさすがに覚えてません。
灯台といえばふつう、赤色か白色に塗られたものですが、この灯台は総御影石造りのため塗装されていません。そりゃ頑丈でしょう。1895年に初点灯ですから127年前ですか。もちろん今でも現役で点灯して船の航行に役立っているのですから大したものです。
私がここに来たかったのは、私が中学から高校へ進学する間の春休み。親父の漁船に乗せられて漁の手伝いをさせられていた時がありました。・・・・・夜中3時くらいに起こされて船に乗って漁に出かけるんですよ。網を仕掛けて魚が網に入るまで待って・・・・潮の流れが変わったら網の位置を変えて・・・網を上げて魚を生簀に入れる。それを1日中繰り返すんです。
夕方帰ってきて、獲れた魚を陸揚げして、船を掃除してから家帰って・・・風呂入ってご飯食べて寝て・・・また夜中に起こされて・・・・満潮、干潮時間によってその時間がずれていくんですよね。これが辛くてねぇ。魚がたくさん獲れる時もあれば全然獲れない時もあって・・・獲れない時の親父は不機嫌でねぇ。怖かったです。
親父は毎日こういう仕事してるんだなぁというのを見せられましたね。親父も息子の私に自分がどういう仕事をしてるのか知って欲しかったんでしょうね。
親父は若い時におじいちゃんがガンで亡くなったから、生活するためにできることは漁師しかなくて漁師になったと言ってました。親父が23歳の時に私が生まれました。その時は本当に貧乏だった・・・と言ってました。親父は私には「漁師の仕事はこれからの仕事じゃないから勧めん。お前の好きなようにしたらええ。でも浪人はさせんからな。大学落ちたら漁師やぞ!」そう言われたので、なんとか三流大学に引っかかってサラリーマンになって今に至るのです。
船で漁に出て・・・・魚が獲れるか獲れないかわからない・・・・そんな博打みたいな仕事は私にはやる勇気はないなぁ・・・・と今でも思ってます。漁の間、船から出られない、昼も夜もなく働くってのがどうにも嫌でしたねぇ。毎日時間通りに出勤して時間通りに帰宅して、日曜日が休めるサラリーマンの家庭に憧れていたのもありますけどね。
話が長くなりましたが、で、どこで男木島の灯台につながるかというと・・・・その漁を手伝っていた時です。自分でも海の上のいったいどこにいるのかがわからなくて・・・船で家から1時間以内の場所なので・・・・実は瀬戸大橋から女木島の間を行ったり来たりしてたんですが、方向感覚がわからなくて・・・・ある時、この灯台が近くに見えたんですよ。親父に「あの灯台はどこの灯台?」「男木島の灯台じゃ!」というのを聞いて、それ以来、海から見えた男木島の灯台が頭に残っていました。
この灯台って、宇高連絡船とか通常のフェリーのルートからは遠くにしか見えないんですよね。だからそれ以来、近くで見たことなかったので・・・・何年ぶり?16歳ですか?・・・・42年ぶりですね。42年ぶりに間近で見ることができました。感無量ですね。灯台を見た時にその当時の親父の顔がアタマに浮かびました。
灯台のそばに灯台資料館がありまして・・・これは平成になってから建てられたものです。
平成6年ですから1994年ですか。当時の高松市長、脇市長が写ってますね。たしか小学校か中学校の時に来賓で来た事があったぞ。そして・・・・中井貴一。オリジナルの「喜びも悲しみも幾年月」の主演が佐田啓二、中井貴一のお父さんだった縁ですね。中井貴一もその後のリメイクの映画に出演してます。
だから、男木島といえば瀬戸芸が始まるまでは、観光スポットはこの灯台しかなかったわけで・・・・だから灯台見るためだけにわざわざ男木島へは行かなかった・・・というのが本当のところです。瀬戸芸のおかげで私もここへ来ることができてよかったです。
では、それ以外は・・・・こんな坂道とか・・・・が島独特の観光スポットとなるわけですが・・・
島のあちこちにアートが散りばめられてまして・・・・こんな漁船・・・・今まで見たことないです。(笑 びっくりしますね。
男木島図書館。本が好きな人はここでゆっくり本を読むってのもいいかもしれません。ここもいい感じに再利用、再構築されてます。
ここにもカフェスペースがあったんですけどね。ちょうど閉店時間だったのでコーヒーは飲めませんでした。
そして、島のあちこちにいる猫。人慣れしてるせいでしょうか、まぁ全然逃げませんね。
近づけば警戒しそうなもんですけど、近づいてもこの状態です。(笑
よくある波板スレートの倉庫もこんなカラフルなアクリル板を貼り付けるだけでアートな建物になる・・・・男木島のあちこちにこのカラープレートが装飾されてます。
直島のシンボル的アートがカボチャなら、男木島のシンボル的アートはこの「歩く方舟」でしょう。その奇妙さがインパクトありますね。
男木島港にある「男木島の魂」。屋根に文字が描かれていて、地面や水面に文字が映って不思議な空間を演出します。港について一番に目に付く建造物です。
観光の子供達が走り回って遊ぶ様子がなんか微笑ましい。最終の高松港行きフェリーが来るまでの時間・・・・島時間が流れます。
陽が傾いてきて・・・・船を待つ人の行列ができ始めました。私もそろそろ並びます。
猫ちゃんが船を待つ人に「また来いよ!」って挨拶に来ました。(笑 ほんとに男木島、おもしろい。
これ、フェリーから見た男木島中心部です。この右側にもまだ住宅はありますが、大半の人はこの斜面に暮らしているようです。なんかエーゲ海かどこかにもありそうで・・・・いいですねぇ。世界中を旅してここに落ち着いたっていう気持ちも少しわかる気がします。
瀬戸芸期間中の日曜日、最終のフェリーの船内です。県内、県外の観光客がこんなにいっぱいで、それぞれ島の思い出を胸に帰られたことでしょう。
高松港到着!これで私の瀬戸芸は終わりましたけど・・・・3年後の瀬戸芸までにもまたゆったりとした島時間を過ごしに、いくつか島へは遊びに行ってみたいですね。
私が男木島で一番見たかったのは・・・・瀬戸芸の作品ではなく「男木島灯台」です。男木島灯台を見ずに男木島を後にすることはできません。島の中心部、男木島港から北の端の灯台までは・・・・徒歩です。島内の住民は原付や自転車を使用することは許されていますが、島外の訪問客に自転車の使用は許可されていません。
たぶん昔、大勢の観光客が他の島のようにレンタサイクルで走り回って、問題が起きたのかなぁ。男木島は道が細く迷路のようになっていて、しかも坂道だらけ。大量の自転車が走るのは危険ですね。徒歩で回るのが島の雰囲気を感じるのには最適です。
灯台まで歩いて片道30分。散歩すると思えばそんなに遠い距離ではありません。何気ない景色が本土にはない島独特の景色であることにすぐ気づくはずです。
それを楽しみながら歩けば・・・・こんな路地もまたおもしろい。
島のすぐ沖を大きな輸送船が通り過ぎていく。島ならではの構図です。
民家がなくなると、ちょっとした山のハイキングコースのよう。手付かずの自然がいっぱいと言えば聞こえはいいですが、未開発な島北部ですね。平坦な土地がないですから、農地にするにも住宅地にするにも難しいです。そのおかげで緑がいっぱい。
砂浜の向こうに灯台が見えてきました。ほんとに砂浜と灯台以外、何もないです。だからここへ来る人もそんなに多くない。外国人の家族連れが私といっしょに訪れて、写真をいろいろ撮ってました。
これがその男木島灯台。ドラマと映画「喜びも悲しみも幾年月」で登場した灯台として全国的に知名度のある灯台です。私もこのドラマは覚えてますよ。「俺ら岬の灯台守は〜」という主題歌を子供の頃に歌ってました。たぶん72年か76年のリメイク版。
日本全国の灯台を転々とする灯台守夫婦のドラマだったようです。子供だったのでドラマの内容はさすがに覚えてません。
灯台といえばふつう、赤色か白色に塗られたものですが、この灯台は総御影石造りのため塗装されていません。そりゃ頑丈でしょう。1895年に初点灯ですから127年前ですか。もちろん今でも現役で点灯して船の航行に役立っているのですから大したものです。
私がここに来たかったのは、私が中学から高校へ進学する間の春休み。親父の漁船に乗せられて漁の手伝いをさせられていた時がありました。・・・・・夜中3時くらいに起こされて船に乗って漁に出かけるんですよ。網を仕掛けて魚が網に入るまで待って・・・・潮の流れが変わったら網の位置を変えて・・・網を上げて魚を生簀に入れる。それを1日中繰り返すんです。
夕方帰ってきて、獲れた魚を陸揚げして、船を掃除してから家帰って・・・風呂入ってご飯食べて寝て・・・また夜中に起こされて・・・・満潮、干潮時間によってその時間がずれていくんですよね。これが辛くてねぇ。魚がたくさん獲れる時もあれば全然獲れない時もあって・・・獲れない時の親父は不機嫌でねぇ。怖かったです。
親父は毎日こういう仕事してるんだなぁというのを見せられましたね。親父も息子の私に自分がどういう仕事をしてるのか知って欲しかったんでしょうね。
親父は若い時におじいちゃんがガンで亡くなったから、生活するためにできることは漁師しかなくて漁師になったと言ってました。親父が23歳の時に私が生まれました。その時は本当に貧乏だった・・・と言ってました。親父は私には「漁師の仕事はこれからの仕事じゃないから勧めん。お前の好きなようにしたらええ。でも浪人はさせんからな。大学落ちたら漁師やぞ!」そう言われたので、なんとか三流大学に引っかかってサラリーマンになって今に至るのです。
船で漁に出て・・・・魚が獲れるか獲れないかわからない・・・・そんな博打みたいな仕事は私にはやる勇気はないなぁ・・・・と今でも思ってます。漁の間、船から出られない、昼も夜もなく働くってのがどうにも嫌でしたねぇ。毎日時間通りに出勤して時間通りに帰宅して、日曜日が休めるサラリーマンの家庭に憧れていたのもありますけどね。
話が長くなりましたが、で、どこで男木島の灯台につながるかというと・・・・その漁を手伝っていた時です。自分でも海の上のいったいどこにいるのかがわからなくて・・・船で家から1時間以内の場所なので・・・・実は瀬戸大橋から女木島の間を行ったり来たりしてたんですが、方向感覚がわからなくて・・・・ある時、この灯台が近くに見えたんですよ。親父に「あの灯台はどこの灯台?」「男木島の灯台じゃ!」というのを聞いて、それ以来、海から見えた男木島の灯台が頭に残っていました。
この灯台って、宇高連絡船とか通常のフェリーのルートからは遠くにしか見えないんですよね。だからそれ以来、近くで見たことなかったので・・・・何年ぶり?16歳ですか?・・・・42年ぶりですね。42年ぶりに間近で見ることができました。感無量ですね。灯台を見た時にその当時の親父の顔がアタマに浮かびました。
灯台のそばに灯台資料館がありまして・・・これは平成になってから建てられたものです。
平成6年ですから1994年ですか。当時の高松市長、脇市長が写ってますね。たしか小学校か中学校の時に来賓で来た事があったぞ。そして・・・・中井貴一。オリジナルの「喜びも悲しみも幾年月」の主演が佐田啓二、中井貴一のお父さんだった縁ですね。中井貴一もその後のリメイクの映画に出演してます。
だから、男木島といえば瀬戸芸が始まるまでは、観光スポットはこの灯台しかなかったわけで・・・・だから灯台見るためだけにわざわざ男木島へは行かなかった・・・というのが本当のところです。瀬戸芸のおかげで私もここへ来ることができてよかったです。
では、それ以外は・・・・こんな坂道とか・・・・が島独特の観光スポットとなるわけですが・・・
島のあちこちにアートが散りばめられてまして・・・・こんな漁船・・・・今まで見たことないです。(笑 びっくりしますね。
男木島図書館。本が好きな人はここでゆっくり本を読むってのもいいかもしれません。ここもいい感じに再利用、再構築されてます。
ここにもカフェスペースがあったんですけどね。ちょうど閉店時間だったのでコーヒーは飲めませんでした。
そして、島のあちこちにいる猫。人慣れしてるせいでしょうか、まぁ全然逃げませんね。
近づけば警戒しそうなもんですけど、近づいてもこの状態です。(笑
よくある波板スレートの倉庫もこんなカラフルなアクリル板を貼り付けるだけでアートな建物になる・・・・男木島のあちこちにこのカラープレートが装飾されてます。
直島のシンボル的アートがカボチャなら、男木島のシンボル的アートはこの「歩く方舟」でしょう。その奇妙さがインパクトありますね。
男木島港にある「男木島の魂」。屋根に文字が描かれていて、地面や水面に文字が映って不思議な空間を演出します。港について一番に目に付く建造物です。
観光の子供達が走り回って遊ぶ様子がなんか微笑ましい。最終の高松港行きフェリーが来るまでの時間・・・・島時間が流れます。
陽が傾いてきて・・・・船を待つ人の行列ができ始めました。私もそろそろ並びます。
猫ちゃんが船を待つ人に「また来いよ!」って挨拶に来ました。(笑 ほんとに男木島、おもしろい。
これ、フェリーから見た男木島中心部です。この右側にもまだ住宅はありますが、大半の人はこの斜面に暮らしているようです。なんかエーゲ海かどこかにもありそうで・・・・いいですねぇ。世界中を旅してここに落ち着いたっていう気持ちも少しわかる気がします。
瀬戸芸期間中の日曜日、最終のフェリーの船内です。県内、県外の観光客がこんなにいっぱいで、それぞれ島の思い出を胸に帰られたことでしょう。
高松港到着!これで私の瀬戸芸は終わりましたけど・・・・3年後の瀬戸芸までにもまたゆったりとした島時間を過ごしに、いくつか島へは遊びに行ってみたいですね。
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