名誉理事・・・・・逝く
ブログ友のこりすさんのコメントから、同じくブログ友の達さんが亡くなったことを知りました。私は達さんとのつながりが今ではfacebook経由でしかないので、達さんの知人が5月7日に喪服姿で写っているので悟りました。
達さんは、年齢的には私よりも一回り以上年上の方で、京都に住む人でした。知り合ったのは2008年ごろ、たしかブログ友のりっちゃんつながりで私のブログにもコメントを残してくれるようになったんじゃなかったかなぁ。グルメネタ、お姉ちゃんネタ満載の私のブログが、達さんの波長とぴったり合ったようで・・・・もう14年も前の話ですねぇ。ブログが流行り始めたころです。今はすっかり落ち着いてしまったブログですが、当時はブログを書く人がいっぱいいましたねぇ。
その頃私は、仕事で中国の深センに駐在していました。達さんが会社の仲間たちと香港へ遊びに来るということがありまして、その時に達さんから「香港でお会いしましょう」と誘われたのです。ブログ上ではいろんなコメントをやりとりして、友達みたいな感じになってましたが、本名も知らないし、写真も見たことなかったし・・・
で、ご一緒させていただいたのが、テレビでもよく出てくる「南北楼」。
https://4711kei2.seesaa.net/article/200902article_5.html
初めて達さんにお会いしましたが、恰幅の良い気さくな方でした。同じ会社の私と同年代の秦坊さんとグッチさんを従えて、毎年香港へ遊びに来ると言ってましたっけ。なので、香港のこともよく知っておられて・・・・何より食べ物についてはとてもよく知っているというか、食通というか・・・・感心しましたね。それとネット上でいろいろやりとりしていたせいで、初めて会うのにお互いのことを既にいろいろ知っているので、全然初対面な感じがしない、昔からの友人のような不思議な感覚でした。
そしてその翌年か、翌々年だったか・・・・また香港に遊びに来られた時に、今度はけいつーさんがいる深センの方へ行ってみたい・・・・というので、羅胡のイミグレへ達さんと秦坊さん、グッチさんを迎えに行って、そこから私が手配した会社の運転手のワンボックスカーで深センの観蘭の街に案内しました。
高級料理店・・・・ではなくて、普段、私がよく利用していた普通の湖南料理の店、姐妹湘菜館へ行きました。この時の様子もブログに書いた気がするんだけどなぁ・・・・見当たらないあなぁ。辛い料理は得意と言っていた達さん、中国の地元の店の辛さは・・・・「かつて最強ではないけど、なかなかの辛さですねぇ。おいしかったですよ。しかも異常に安い!」と評価いただきました。
その後、ニセモノデパートを案内して、その壮大なニセモノ具合に感心してましたっけ。(笑)
3回目に会ったのは・・・・松本でしたね。所用で近くまで行くから、もしよければ晩ご飯を一緒に食べましょうと達さんから誘っていただいて・・・・いやいや、二人で晩ご飯って・・・・・今でこそ年配の人ともサシで酒飲んだりできるようになりましたけど、当時はまだそんな経験もなかったので・・・・どうしよう?とかんがえあぐねて・・・・「豚骨ラーメンでもいいですか?」って狼煙のラーメン食べに行きましたっけねぇ。
ラーメン食べただけで終わってしまいましたが・・・・もっと他にいくところがあったですよねぇ。おいしいものもあったし、気の利いた居酒屋でもよかったのにねぇ。
さて・・・・ブログ上でのコメントをやりとりしてるうちに、達さんから「北海道のinuさんが日本カツカレー協会を立ち上げるから、けいつーさんも一緒に参加しませんか?」という誘いがありました。毎週土曜日にカツカレーを食べてブログにアップして、お互いにコメントをし合う・・・・日本全国に何人かの協会になりました。これが記念すべき第一回の投稿。
お待たせ!深セン 万菜屋のカツカレーライス 深センカツカレー事情 vol.1★★★
懐かしいですね。私は広東省支部長となり、中国のカツカレーを探索していました。最初はよかったのですが、さすがに他のメンバーも毎週カツカレーを食べるのがきつくなってきたのか・・・あとは、近所のカツカレー屋さんも行き尽くしてしまったのか、気がつけば残ったメンバーは私と達さんの二人。(笑)達さんが会長を務め、私が会長を支えるって感じで日本カツカレー協会を存続していました。ただ、あまりにもカツカレーにこだわるあまり、先にやめた方が負け・・・・のような半ば罰ゲームみたいな感じも漂っていました。(笑)
日本カツカレー協会は、現在も私一人で存続中です。「けいつーさんが会長をやってください」と達さんからのお言葉はありましたが、一応、若輩者の私では会長は務まらないので、私は会長代行兼香川県支部長という肩書です。達さんは一線を退きましたが、名誉理事というポジションで籍は残しておりました。
こんなこともあったなぁ・・・・
↓すみません。削除しました。(泣)
ブログに中国の彼女の芯芯ちゃんのことをよく書いていたんですが・・・・・達さんも面白がってよくコメント書いてくれまして・・・・それを芯芯ちゃんにチェックされて怒られて削除させられたって・・・・懐かしいですねぇ。
それから、達さんは蕎麦が好きで・・・・うどん県の香川出身の私がうどんが好きだと書いてると、「うどんは所詮メリケン粉」と毎回ディスられました。(笑)それから私がせっかく信州にいるんだから、蕎麦をたべなければ・・・・と蕎麦を食べ始めたシリーズ。
食わず嫌い信州蕎麦めぐり vol.2 松本 深志「浅田」★★★★
この浅田のコメントにも達さんのコメントがあります。私が行く前に達さんも浅田へ行ったことがありましてね。それでこういう流れになりました。
達さんにはいろんなことを教えてもらった気がします。ずいぶん前に退職されましたが、某大手企業の社長、会長を務めた立派な方で・・・・・会社を離れてもかつての社員や取引先の方とのつながりは途絶えず、大勢の人に愛された方だと思います。達さんの人徳でしょう。日本全国に大勢の知人がいて・・・・すごい人だなぁと思ってました。
ブログは数年前にやめてしまって、facebookの方で達さんの近況は見れました。相変わらず私の投稿にユーモアのあるコメントくれたりしてました。以前から脚が痛いとは言ってましたが、時々、入院もされてたようですが、退院すると以前のように超高級な料理の画像が続いていましたので、元気でやってるなぁ・・・・ただ、先行き長くない・・・・という言葉も見られましたが、いつもの冗談でしょう・・・・達さんはまだまだ若いと思っていました。
今年に入ったあたりから私はfacebookから遠ざかっていたので、気づかなかったですが、いま見直してみると・・・・過去をふりかえる投稿が多かったですね。遠出ができなくなったから過去を懐かしんでいるんだろうと思ってましたが・・・・それにしても先月末まではおいしいものをたくさん食べていましたねぇ。本当に達さんは食べることに妥協しないというか・・・・ちょっと美味しんぼの海原雄山の姿と達さんの姿がダブって見える時もありました。
ブログを通して、つらつらと思い出を書き綴ってしまいました。(涙)
普段、直接会ってない・・・・結局、実際に会ったのは14年で3回でした。それでも私のブログの中には一番コメントを残してくれた人が達さんです。そのコメントはずっとこのブログの中に残っていて、それを読むと今でも達さんがいるようで・・・・会っていないだけに以前と変わりなくネットの向こうにいるような・・・・この記事にも達さんがコメントしてくれるような、そんな気がします。
冒頭の画像は、達さんがいる京都の方向に向かっての献杯です。最後に亡くなった達さんに感謝の言葉を・・・・
名誉理事、今までありがとうございました。
達さんは、年齢的には私よりも一回り以上年上の方で、京都に住む人でした。知り合ったのは2008年ごろ、たしかブログ友のりっちゃんつながりで私のブログにもコメントを残してくれるようになったんじゃなかったかなぁ。グルメネタ、お姉ちゃんネタ満載の私のブログが、達さんの波長とぴったり合ったようで・・・・もう14年も前の話ですねぇ。ブログが流行り始めたころです。今はすっかり落ち着いてしまったブログですが、当時はブログを書く人がいっぱいいましたねぇ。
その頃私は、仕事で中国の深センに駐在していました。達さんが会社の仲間たちと香港へ遊びに来るということがありまして、その時に達さんから「香港でお会いしましょう」と誘われたのです。ブログ上ではいろんなコメントをやりとりして、友達みたいな感じになってましたが、本名も知らないし、写真も見たことなかったし・・・
で、ご一緒させていただいたのが、テレビでもよく出てくる「南北楼」。
https://4711kei2.seesaa.net/article/200902article_5.html
初めて達さんにお会いしましたが、恰幅の良い気さくな方でした。同じ会社の私と同年代の秦坊さんとグッチさんを従えて、毎年香港へ遊びに来ると言ってましたっけ。なので、香港のこともよく知っておられて・・・・何より食べ物についてはとてもよく知っているというか、食通というか・・・・感心しましたね。それとネット上でいろいろやりとりしていたせいで、初めて会うのにお互いのことを既にいろいろ知っているので、全然初対面な感じがしない、昔からの友人のような不思議な感覚でした。
そしてその翌年か、翌々年だったか・・・・また香港に遊びに来られた時に、今度はけいつーさんがいる深センの方へ行ってみたい・・・・というので、羅胡のイミグレへ達さんと秦坊さん、グッチさんを迎えに行って、そこから私が手配した会社の運転手のワンボックスカーで深センの観蘭の街に案内しました。
高級料理店・・・・ではなくて、普段、私がよく利用していた普通の湖南料理の店、姐妹湘菜館へ行きました。この時の様子もブログに書いた気がするんだけどなぁ・・・・見当たらないあなぁ。辛い料理は得意と言っていた達さん、中国の地元の店の辛さは・・・・「かつて最強ではないけど、なかなかの辛さですねぇ。おいしかったですよ。しかも異常に安い!」と評価いただきました。
その後、ニセモノデパートを案内して、その壮大なニセモノ具合に感心してましたっけ。(笑)
3回目に会ったのは・・・・松本でしたね。所用で近くまで行くから、もしよければ晩ご飯を一緒に食べましょうと達さんから誘っていただいて・・・・いやいや、二人で晩ご飯って・・・・・今でこそ年配の人ともサシで酒飲んだりできるようになりましたけど、当時はまだそんな経験もなかったので・・・・どうしよう?とかんがえあぐねて・・・・「豚骨ラーメンでもいいですか?」って狼煙のラーメン食べに行きましたっけねぇ。
ラーメン食べただけで終わってしまいましたが・・・・もっと他にいくところがあったですよねぇ。おいしいものもあったし、気の利いた居酒屋でもよかったのにねぇ。
さて・・・・ブログ上でのコメントをやりとりしてるうちに、達さんから「北海道のinuさんが日本カツカレー協会を立ち上げるから、けいつーさんも一緒に参加しませんか?」という誘いがありました。毎週土曜日にカツカレーを食べてブログにアップして、お互いにコメントをし合う・・・・日本全国に何人かの協会になりました。これが記念すべき第一回の投稿。
お待たせ!深セン 万菜屋のカツカレーライス 深センカツカレー事情 vol.1★★★
懐かしいですね。私は広東省支部長となり、中国のカツカレーを探索していました。最初はよかったのですが、さすがに他のメンバーも毎週カツカレーを食べるのがきつくなってきたのか・・・あとは、近所のカツカレー屋さんも行き尽くしてしまったのか、気がつけば残ったメンバーは私と達さんの二人。(笑)達さんが会長を務め、私が会長を支えるって感じで日本カツカレー協会を存続していました。ただ、あまりにもカツカレーにこだわるあまり、先にやめた方が負け・・・・のような半ば罰ゲームみたいな感じも漂っていました。(笑)
日本カツカレー協会は、現在も私一人で存続中です。「けいつーさんが会長をやってください」と達さんからのお言葉はありましたが、一応、若輩者の私では会長は務まらないので、私は会長代行兼香川県支部長という肩書です。達さんは一線を退きましたが、名誉理事というポジションで籍は残しておりました。
こんなこともあったなぁ・・・・
↓すみません。削除しました。(泣)
ブログに中国の彼女の芯芯ちゃんのことをよく書いていたんですが・・・・・達さんも面白がってよくコメント書いてくれまして・・・・それを芯芯ちゃんにチェックされて怒られて削除させられたって・・・・懐かしいですねぇ。
それから、達さんは蕎麦が好きで・・・・うどん県の香川出身の私がうどんが好きだと書いてると、「うどんは所詮メリケン粉」と毎回ディスられました。(笑)それから私がせっかく信州にいるんだから、蕎麦をたべなければ・・・・と蕎麦を食べ始めたシリーズ。
食わず嫌い信州蕎麦めぐり vol.2 松本 深志「浅田」★★★★
この浅田のコメントにも達さんのコメントがあります。私が行く前に達さんも浅田へ行ったことがありましてね。それでこういう流れになりました。
達さんにはいろんなことを教えてもらった気がします。ずいぶん前に退職されましたが、某大手企業の社長、会長を務めた立派な方で・・・・・会社を離れてもかつての社員や取引先の方とのつながりは途絶えず、大勢の人に愛された方だと思います。達さんの人徳でしょう。日本全国に大勢の知人がいて・・・・すごい人だなぁと思ってました。
ブログは数年前にやめてしまって、facebookの方で達さんの近況は見れました。相変わらず私の投稿にユーモアのあるコメントくれたりしてました。以前から脚が痛いとは言ってましたが、時々、入院もされてたようですが、退院すると以前のように超高級な料理の画像が続いていましたので、元気でやってるなぁ・・・・ただ、先行き長くない・・・・という言葉も見られましたが、いつもの冗談でしょう・・・・達さんはまだまだ若いと思っていました。
今年に入ったあたりから私はfacebookから遠ざかっていたので、気づかなかったですが、いま見直してみると・・・・過去をふりかえる投稿が多かったですね。遠出ができなくなったから過去を懐かしんでいるんだろうと思ってましたが・・・・それにしても先月末まではおいしいものをたくさん食べていましたねぇ。本当に達さんは食べることに妥協しないというか・・・・ちょっと美味しんぼの海原雄山の姿と達さんの姿がダブって見える時もありました。
ブログを通して、つらつらと思い出を書き綴ってしまいました。(涙)
普段、直接会ってない・・・・結局、実際に会ったのは14年で3回でした。それでも私のブログの中には一番コメントを残してくれた人が達さんです。そのコメントはずっとこのブログの中に残っていて、それを読むと今でも達さんがいるようで・・・・会っていないだけに以前と変わりなくネットの向こうにいるような・・・・この記事にも達さんがコメントしてくれるような、そんな気がします。
冒頭の画像は、達さんがいる京都の方向に向かっての献杯です。最後に亡くなった達さんに感謝の言葉を・・・・
名誉理事、今までありがとうございました。
この記事へのコメント
そうでしたか。達さんへの年賀状から連絡があったんですね。
香港、中国で会った時に達さんと一緒におられたグッチさんが、過去の達さんのfacebookにコメントしていましたので、メッセンジャーでグッチさんに達さんの訃報の確認メッセージを送りました。
グッチさんも残念で信じられないとの事でした・・・私なんか全くおよばない、長年直接的に達さんと接して来られた方ですから、肉親を亡くしたに近い・・・・私なんかの数百倍辛いだろうと思います。(涙)