トムのおでかけ

妹の病状を先生から聞いて、前夜、新幹線で大宮の病院から高松の実家へ移動した私は、朝、おふくろにその事実を伝え、一緒に大宮の妹のところへ行くことにしました。おふくろ一人でいいと思っていたのが・・・なんと・・・・トムをどこにも預けられないと。ペットホテルや預かってくれる病院はあるのですが、以前飼ってた同じプードルのエミリーが預けているうちに死んでしまったことと、トムはおふくろ以外の人から与えられるエサを食べない・・・・という超過保護状態からどこにも預けられない・・・・とおふくろが言うのです。
また、息子も娘も同居していない現在では、このトムがおふくろにとって子供同然の存在なのです。トムも一緒に連れて行かねばなりません。
最初は飛行機で・・・と思いましたが、ペットは客室には同情できず、ケージに入れられて貨物室行きというのがわかって、さすがにそれは可哀想だろうと、時間はかかりますが新幹線で大宮まで向かうことにしました。実家から歩いて高松駅へ。

マリンライナーで岡山に着いて、新幹線に乗り換え。


いつもなら、私とこんな至近距離なら吠えまくるんですが・・・・この時は全然吠えなかったですね。

もちろんトムは病院内には入れないので、外で妹の娘たちと待ってました。

が、お昼過ぎに大宮を出たものですから・・・・どう考えても高松に着くのは深夜になってしまうので・・・・・一度、松本の私の部屋へ寄って、一泊しました。
で、翌朝6時くらいに松本を出発。何度かサービスエリアで休憩しながら高松へ向かいます。おふくろがトイレに行ってる間、私がトムのリードを持ってるんですが・・・・嫌いな私につながれていて、絶大な信頼のおふくろが離れて見えなくなりますから・・・・・トムがもうパニックで。(笑)なだめようと私が触れると、さらに緊張して固くなってしまいます。こまったもんです。
おふくろがトイレから帰って来ると、もうトムは嬉しくて嬉しくて、抱っこをねだります。ほんとにもう・・・・超過保護。


実はこの時は、おふくろには妹の余命が1ヶ月以内だということは言ってませんでした。義弟とそうしようと相談したことです。もしもおふくろにそれを言ってしまうと、帰れなくなるだろうし、かえって妹も心の負担が大きいと・・・・妹自身も余命1ヶ月以内は知っていました。なんとも心が痛い・・・・
この時は妹も調子はよかったので、普通に会話もできて、「じゃまた来るね」と私やおふくろと別れたのですが・・・・それが妹と最後に交わした言葉でした。

おふくろに電話で妹が亡くなったことを伝え、大宮に飛行機で来るよう手配しました。実はたぶん、そういう時が近いうちに来るだろうと、車でおふくろとトムを車で送った時に、連絡用の携帯電話と、空港でトムを預けるにはどうしたらいいかを調べておいたのです。
なので、その時に私が大宮から飛行機のチケットを手配して、空港への段取りを携帯でおふくろに伝えて、トムといっしょに羽田まで来させることができました。誰か親戚の人に頼めば・・・・・でしたが、この時に義弟、おふくろと相談し、葬儀は親戚には伝えず、家族葬にすることが決まっていました。
羽田空港でケージに入れられて、高松から貨物室にいたトムとの再会です。おふくろの隣の席に座った人が、預けているトムを見たいと言うので、一緒に来たようです。



トムを皇居の公園内で散歩できると思ったのですが、金曜日のため閉園。残念。二重橋の前で写真が撮れるかと思いましたが、ここで我慢。


トム、お疲れさん。
この記事へのコメント
フェイスブックでいざスタートという愛車の写真をアップされていた時はお母さんとご一緒だったのではしね。
いつもは吠えられるトムが今回ばかりは吠えなかったというのは不思議ですね、。
本当にねぇ・・・言葉にならない3週間でした。一番辛いのは妹の旦那と娘たちだと思います。おふくろもショックはショックでしょうけど、自分でも言ってましたが、毎日顔合わせてるんじゃなくて、1年に1回か2回帰省するくらいの嫁に行った娘だから、遠くに行って会えなくなったと思えば、少しは気が楽だそうです。
そうなんですよね。私の顔を見ると一目散に逃げて遠くから吠えるトムが別人・・・いや別犬のようでした。