「飯炊き女」で「炊き込みご飯」

日本への帰りの飛行機と電車は、7月に達さんが来た時に持って来てくれた鬼平犯科帳を読んで過ごした。やっぱり鬼平は面白い。思わず笑ったり、それから今回は泣いたりしたエピソードもあったりした。活字で泣くってのは、私には経験がなかったなぁ。

その中で、連想が連想を呼び、思わぬ記憶の奈落へ落ちたキーワードがあった。それは「飯炊き女」。読んで字のごとく、炊事をまかなう仕事をする女性のことを指すのだが。この言葉から私が連想したのは、「炊き込みご飯」。

そして「炊き込みご飯」で連想したのは、「おこげのある炊き込みご飯」だ。ここまで連想した所で、私の深い記憶の断片が蘇ってきた。冷めたおこげのある炊き込みご飯。それを初めて食べたのは・・・・たしか小学1年生のころである。

どうしてそうなったのか、私もその発端をよく覚えていない。母の知り合いのおばさんが、日曜日に軽トラックで魚の行商に行くのについて行ったのだ。なんで行ったんだろう?たぶん最初はそんなに遠くに行くとは思っていなかったのか、それともそのおばさんの息子のシノブ兄ちゃんと遊べるから・・・かもしれない。「いっしょに行くか?」と言われて気軽に「うん」と答えたのだろうと思う。

その頃の私は同級生よりも年上の従兄の兄ちゃんなんかと遊ぶ方が刺激的で面白かった。だからかもしれない。

スバルサンバーだったか、軽トラックなので、大人一人と子供は二人しか乗れない。そこにおばさんとシノブ兄ちゃん、そしてシノブ兄ちゃんの友達と私の3人が乗って魚の行商、ちょっとした日曜ドライブに出かけた。その頃はまだうちには自動車がなかったので、車で遠くへ行くのが楽しかったのだと思う。幼稚園の頃から放浪癖があったから、まぁ、当然といえば当然の成り行きかもしれない。

その頃の私は半パンツを履いていて(可愛いな)シノブ兄ちゃんとその友達の膝の上にかわるがわる座らせてもらって車に乗っていた。たしか・・・「重い」って言われて、シノブ兄ちゃんの太ももの上に私の半パンツの跡がついてたっけ。あと、お巡りさんが遠くに見えたら、「お巡りさんや!隠れぇ!」って、私はかがんでダッシュボードの下に隠れたっけ。(笑)

今思えばなんでもないのだが、その頃の車で1時間というのは、気が遠くなるくらい遠いところ・・・・というイメージで。もちろんそんな所にはそれまで行った事がない所ばかり。これが最初は面白かったのだと思う。行き先は、海から遠い山村部。漁村で育った私には山や田んぼがとても珍しかった。

稲刈りの跡の田んぼに入って、切り株?の上を踏んで遊んだり、用水路のまわりにいるカエルを捕まえたり。特に田んぼのワラの香りがとても新鮮だった。子供の頃ってのは、なぜかそんな風に楽しく遊んでいても急にケンカしたりもするもので・・・・カエルを捕まえて遊んでいた私に

「お前、カエルいじめたら雨が降るん知っとるか?雨が降ったら俺の母ちゃんの仕事ができんやないか?邪魔するんか?」

と言って突き飛ばされて泣かされたことがあったっけ。今考えると屁理屈にしか思えないが、子供に屁理屈もクソもあったものでなく、力が強い者が優位であるのが当然。それが子供の社会である。今はそういう子供の社会に大人が介入したりするからなぁ・・・子供は子供同士、そういう暗黙のルールというのを肌で感じて大きくなっていくんだよなぁ。

もちろんその時はそばにおばさんがいなくて、帰りの車でケンカした兄ちゃんと気まずくなって、何もしゃべらない私におばさんが

「どうしたんや?なんかあったんか?」

そう聞かれても何も言えずにうつむいて泣く私に

「そうや、三越行っておもちゃ買ってやろう」

そんなつもりでもなかったのだが・・・・結局、泣いている理由も説明できずに、おもちゃを買ってもらえることですっかり機嫌がよくなって・・・・三越に行って仮面ライダーのコブラ男の人形を買ってもらったっけ。ゲンキンな私。(笑)

それ以来、休みのたびにそのおばさんが家に来て・・・というか、魚の仕入れにうちの方へ来てたんだと思うが、何度か車で出かけてドライブしてたなぁ。その後、自分で車を運転するようになって、香川の田舎の方へ行くと、その時に行ったあたりの光景に偶然出会って、「あぁ、あの頃に来てたのはこの辺だったんだなぁ・・・」としみじみと感じた。

シノブ兄ちゃんといっしょにいた、その友達が・・・名前なんて言ったか忘れたなぁ。ハーフみたいな男の子で、シノブ兄ちゃんと同級生。私よりも二つ年上だったか。色が白くて赤毛だった。瞳の色も薄茶色だったような。声が甲高くて女の子みたいな声だった。彼ら二人が結託して、私を仲間はずれにするような事もあったりしたんだよなぁ。

と思ったら、シノブ兄ちゃんが行かずにおばさんと二人だけで行くってこともあったりした。さすがにその時はいじめられなかったけど、なんかさみしかったなぁ。

数回、そうやってドライブに行ったようだが、結局、それ以来行くたびにおもちゃを買ってもらうようになって・・・うちの母が気の毒に思い、行かなくなったようだ。・・・私の記憶はその辺はあいまい。

あと、はっきりと覚えているのは、最初は車に乗って遊びに行く・・・ということでうきうきで出かけるのだが、いざ、母親のもとを遠く離れて、(1時間ではあるが当時の私にはものすごく遠くへ来たという印象)こんなところではぐれたらもう帰れないという不安と、親戚でもない人たちとの行動。これがとても心細かった。遠くへ来たものの「帰りたい」という気持ちが半分で・・・・でもおばさんが行商を終えないと帰れないので・・・「いつになったら帰るんだろう?」という気持ちがあったのも事実である。たしか帰って来るのは真っ暗になってから・・・ルパン三世が始まるって言ってなかったか?青いスーツの初代ルパン三世です。夜7時かなぁ・・・

それから行商に訪れるお客さんの中で、今考えるとヤクザだったのかなぁ・・・そういうお客さんがいて

「坊!(おばさんは私のことを「坊」と呼んでいた)次のお客さんのところに行ったら、「おひけなすって!」って言ったらこづかいくれるかも知れんで!」

「え?こづかい?」

「そうや。えぇか?こう言うんや。「おひけぇなすって、てまえしょうごくとはっしまするは、さぬきのくに、たかまつでござんす。」・・・言えるか?」

「てまえしょうごくとはっしまするは?・・・・なに?」

と、車の中で何度か練習して、それなりに言えるようになったのはいいのだが、結局、いざそのお客さんのところに行ったら、アガってしまって・・・恥ずかしくなって何も言えなかった。(笑)・・・・バカみたいですね。うちの親とは絶対こんなことないな。

そんな珍道中の中で、よくお昼に食べたのが、冷めた炊き込みご飯である。おばさんの作ったヤツで・・・・炊き込みご飯って、冷めてもおいしいんだよね。しかも、おこげの部分が特においしくって・・・・外で食べるせいもあったかもしれない。田んぼのあぜ道で、軽トラの荷台に座って、ワラの香りの中で食べたその炊き込みご飯の記憶が40年近く経った今でも思い出される。

ひょんなキーワードで40年前の記憶の奈落に落ちてしまい・・・・・飛行機の上で微笑んでる私がいた。

この記事へのコメント

2010年09月21日 23:35
すみませんが、冷めた炊き込みご飯に至までの思い出話が長すぎて、眠たいのに携帯で読むのに苦労しましたよ。

おやすみなさい。
けいつ~
2010年09月22日 00:33
>達さん
夜遅く、ご苦労様です。ありがとうございます。

おやすみなさい。
PG
2010年09月22日 10:20
なんだか情景が目に浮かびそうな文章で、昔の田舎の良さみたいなものを感じました。
カエルいじめたら雨が降るなんてしらなかった。そんなんあるんですね
うーん、わたしも年上のお友達と遊ぶのが好きだったけど、たまに除け者にされちゃったなぁ。それが切なかったけど、自分は小さい子が好きじゃなかったから一緒に遊んでもらえただけでも、面倒見いい人だったのかなーって今思えば。
子供のころの上手く言えない、沈黙、なつかしい
けいつ~
2010年09月23日 09:12
本当に今の日本とは別の過去に忘れ去られたような日本の田舎です。

付け加えるなら、このおばさんの性格が竹を割ったような性格で、曲がった事が嫌い、スジが通らないことは嫌い、しかし情けに厚いという、古風な方でした。そういう意味においても母親とはまったく違うタイプの人が新鮮でしたね。

子供のころってなんでもない事が大事件でしたから。
Carrie
2010年09月23日 10:55
流れるような文章を嬉しく読みました。「そうそう、そういうことあったけ」と何箇所でも懐かしさがこみ上げてきましたよ。思ったこと言えない小さい時の自分、ほんとうに私もそうでした。いまでもその名残だらけ?です。
炊き込みご飯おいしいですね。この時期さつかいもやキノコご飯つくりますよ。そうそう、おこげおいしいですね。
けいつ~
2010年09月23日 14:57
>Carrieさん
共感する部分がありましたか?子供の頃ってのは本当にどうしたらいいのかわからない・・・そういうことが多いですよね。今でも多いか?(笑)

気が付いたら自分はもう40過ぎのオヤジになってて・・・・昔を懐かしむようになってるもんなぁ。

炊き込みご飯、日本にいる間に食べたいです。
盗人宿おかみ
2010年09月23日 22:40
飯炊き女から炊き込みご飯? ぶふっ
すごいイマジネーション。

達さまがわざわざ鬼平犯科帳をもっていってくれた。
何と親切な。
それに引き換え冷酷な私ですう。

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