ガンラン ドラゴンズ通信 第3球 「前監督・・・お別れ会」
先日、急に亡くなったソフトボールのチームの前監督の葬儀の日がやってきた。雲も少なく快晴の朝だ。私は当日になっても前監督が亡くなったというのが信じられない。
御霊前の袋がないので、白い封筒に手書きで「御霊前」と書いて作った。なんかカッコ悪い。
冠婚葬祭のスーツを持ってきているわけもないので、仕方なくジーパン(下はジーパンか短パンかジャージしかない)に上は黒い半そでの襟つきのシャツを着て出かけた。
メールで連絡のあった葬儀場をインターネットで調べて、タクシーで向かった。中国の葬儀場なんて一度も行ったことないし、葬式自体も中国では初めてである。
早めに出たおかげで40分くらい前に到着した。が、葬儀場、結構広い。日本と同じような感じで、いくつも葬式を行う部屋があった。中には体育館ほどの大きさの場所もあって、中国も葬式はちゃんとやるんだなと感じた。入り口のお姉ちゃんに「日本人の葬式はどこ?」と聞いて場所を教えてもらい、汗をかきかき前監督の葬儀場所にやってきた。
すでにチームの何人かの人は着いていて、お互いに神妙な面持ちであいさつをした。やがてバスでまとまってきたと思われる会社関係の人たちも集まり、葬儀が執り行われた。全部で100人くらいだろうか。会社関係、友人関係たくさんの人が集まった。奥さんと娘さん二人、娘さんの旦那さん(カナダ人)の合計4人が故人の身内である。
葬儀は正面に遺影があって、その壁の後ろに部屋があって、棺に納められた遺体は壁をはさんだ遺影の真後ろにある。日本だと遺影の下あたりに棺があるのだが・・・
中国式のお坊さんの読経が始まり、私たちは線香を持ち、一列になって後ろの部屋へ行き、遺体と対面した。安らかな顔で本当に今にも起き上がるんじゃないかという状態だった。やはりこうして亡骸を確認することで「本当に亡くなった」と実感するので、葬式というものはやはり重要である。風の噂で「亡くなった」と聞いても実感がわかない。
長い読経・・・45分だったか・・・が終わって、お坊さんが帰って、日本式のお別れの会を行った。しかし、中国で葬式を行うから中国式って・・・亡くなった本人も戸惑う気がするけど、日本のお坊さんもいないから仕方ないと言えば仕方ない。
お別れの会では3人の代表がお別れの言葉を述べたが、そのうちの友人代表が私たちのドラゴンズのチームのメンバーだった。そのスピーチを聞いているうちに私は涙がこみ上げてきた。葬式の時にはいつも思うのだが、人ってなんで死んじゃうんだろう。そして、宇宙の営みから見れば人の一生はちっぽけなもの・・・とも思う。誰でも死んじゃうんだ・・・とも。
死を意識して初めて生きる意味、価値を知るとも言う。59歳で亡くなった故人、私は今年46歳だからもしも同じ年齢で亡くなるなら13年。あと13年で何ができる・・・そう考えれば今一瞬、一瞬を大事に生きていこうとさえ思えてくる。
最後に故人の奥さんからお礼の挨拶があり、その中で「お仕事も大変でしょうが、皆さんも身体だけには気をつけてください」という涙ながらの言葉が胸にジーンとしみた。
・・・・監督、さようなら。お世話になりました。
御霊前の袋がないので、白い封筒に手書きで「御霊前」と書いて作った。なんかカッコ悪い。
冠婚葬祭のスーツを持ってきているわけもないので、仕方なくジーパン(下はジーパンか短パンかジャージしかない)に上は黒い半そでの襟つきのシャツを着て出かけた。
メールで連絡のあった葬儀場をインターネットで調べて、タクシーで向かった。中国の葬儀場なんて一度も行ったことないし、葬式自体も中国では初めてである。
早めに出たおかげで40分くらい前に到着した。が、葬儀場、結構広い。日本と同じような感じで、いくつも葬式を行う部屋があった。中には体育館ほどの大きさの場所もあって、中国も葬式はちゃんとやるんだなと感じた。入り口のお姉ちゃんに「日本人の葬式はどこ?」と聞いて場所を教えてもらい、汗をかきかき前監督の葬儀場所にやってきた。
すでにチームの何人かの人は着いていて、お互いに神妙な面持ちであいさつをした。やがてバスでまとまってきたと思われる会社関係の人たちも集まり、葬儀が執り行われた。全部で100人くらいだろうか。会社関係、友人関係たくさんの人が集まった。奥さんと娘さん二人、娘さんの旦那さん(カナダ人)の合計4人が故人の身内である。
葬儀は正面に遺影があって、その壁の後ろに部屋があって、棺に納められた遺体は壁をはさんだ遺影の真後ろにある。日本だと遺影の下あたりに棺があるのだが・・・
中国式のお坊さんの読経が始まり、私たちは線香を持ち、一列になって後ろの部屋へ行き、遺体と対面した。安らかな顔で本当に今にも起き上がるんじゃないかという状態だった。やはりこうして亡骸を確認することで「本当に亡くなった」と実感するので、葬式というものはやはり重要である。風の噂で「亡くなった」と聞いても実感がわかない。
長い読経・・・45分だったか・・・が終わって、お坊さんが帰って、日本式のお別れの会を行った。しかし、中国で葬式を行うから中国式って・・・亡くなった本人も戸惑う気がするけど、日本のお坊さんもいないから仕方ないと言えば仕方ない。
お別れの会では3人の代表がお別れの言葉を述べたが、そのうちの友人代表が私たちのドラゴンズのチームのメンバーだった。そのスピーチを聞いているうちに私は涙がこみ上げてきた。葬式の時にはいつも思うのだが、人ってなんで死んじゃうんだろう。そして、宇宙の営みから見れば人の一生はちっぽけなもの・・・とも思う。誰でも死んじゃうんだ・・・とも。
死を意識して初めて生きる意味、価値を知るとも言う。59歳で亡くなった故人、私は今年46歳だからもしも同じ年齢で亡くなるなら13年。あと13年で何ができる・・・そう考えれば今一瞬、一瞬を大事に生きていこうとさえ思えてくる。
最後に故人の奥さんからお礼の挨拶があり、その中で「お仕事も大変でしょうが、皆さんも身体だけには気をつけてください」という涙ながらの言葉が胸にジーンとしみた。
・・・・監督、さようなら。お世話になりました。
この記事へのコメント
でも、生きていることの意味や喜びを改めて噛み締める数少ない機会でもあるので、けいつ~さんもこれからは真人間になって悔いのない人生を過ごして下さい(^^)v
いやいや、一度だけ蘇ったら・・・また面倒なことになりますから、逝ってしまうという状況はそれでいい気がします。
まぁ、人の死は受け入れなければいけませんね。
>達さん
本当についこの前までいっしょに遊んでたのに、急に亡くなるってのは・・・あっけにとられたという表現が適切かもしれません。
真人間になってって・・・今は真人間じゃないってことですね。(笑)とりあえず悔いのないよう盗撮に励みます。